1265、坂本散策 no.8 西教寺、明智光秀祠られてます

By | 2017年10月22日
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「西教寺は正しくは、天台真盛宗総本山戒光山兼法勝西教寺といいます。

聖徳太子が恩師である高句麗の僧慧慈、慧聡のために創建されたと伝えられています。

その後、久しく荒廃していましたが慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場としました。

恵心僧都も入寺、修行されたところから次第に栄えるようになりました。

鎌倉時代の1325年に入寺された恵鎮(円観)上人は、

伝教大師が畢生の事業として提唱された大乗円頓戒を復興、

その後百有余年を経た1486年に真盛上人が入寺されるに至り、

堂塔と教法を再興、普段念仏の道場とされました。

爾来全国に末寺を有する総本山となりました。」

「1571年織田信長の比叡山焼き討ちの際、当寺も災禍をこおむりました。

その直後に築かれた坂本状の城主になったのが光秀でした。

光秀は最強の檀徒になるに及び、復興に大きく力を注ぎました。

天正10年にこの世を去った光秀は6年前に亡くなった内室熙子や一族の墓とともに祠られています。

静かだし見どころもあるし、小堀遠州の庭もあるし、
500円と高くないし、お勧めである。

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