2024/03/18(月)、長男はじめての修了式、
同い年の従妹の子は、卒園式だったそうなので、場所によって違うらしい。
10時開始、お父さん参加率90%、メインは園長から修了証を受け取る、
その場でくるりと振り返り、
「大きくなったら、〇〇になりたいです。」
と言い、保護者のところに行って、修了証を渡す。
女子はアイスクリーム屋さん、花屋など、
男子は、メジャーリーガー、建築家、魔法使いなど。
証券マンはいませんでした。
まあ、感動なシーン何だろうが、完全に大人の都合で言わされているわけです。
何になりたいかを決められないからエスケープするように大学に行く人が大変なのに、
6歳そこそこの人間に無理やり言わせるのはどうなんだろう?
そして、心無い大人は、あの時ああ言ったと、一生言うんだよ、
言われた人がどう思うかも知らんと。
その後、
みんなで遠足に行きました、
動物との触れ合いが面白かったです、
など、一人一言つなげていく。
さすが幼稚園児、まあ、間が出来ること、出来ること、
そんで結構、先生がすぐには手助けをしない。
きっとそこはわざとなんだろうなと思った。
その合間に歌を歌うわけだけど、
五曲くらいあり、全体的には20分くらいあり、
知らない歌も多く、正直、長い。
場所を体育館から校庭にうつし、小学校が一緒になっているので、全校生徒?なんかしらんけど、
かなりの人数に見送られて退場。
雨だったらどうしたんだろう?
まあ、そんな式でありました。
Author Archives: なおみ
3749、紫雲荘 (しうんそう) 3.26、個人3.5
この日の宿は、紫雲荘 (しうんそう) 3.26、個人3.5、
老舗の名店風なんだけど、評価はあまり高くない。
値段が高いから?雰囲気などよかったと思われるが、料理の質は覚えてない。
3748、籠清 みつき店 (カゴセイ) 3.26、個人2.8
宿に荷物を置いて駅まで戻り散策、まあ、混んでまして、というか改めて、箱根の駅前って狭い。
さくっと入れた、フードコートチックな、籠清 みつき店 (カゴセイ) 3.26、個人2.8、
特に美味しくなかったのか、下味が甘かったのか。
3747、魚國 (うおくに) 3.49、個人3.3
2022/02/10(木・祝)、翌日に計画休を取り、雪もあると電車で箱根まで、
途中小田原でランチ、魚國 (うおくに) 3.49、個人3.3、
評価の割には特別感も割安感もなく、まあ、駅前の広い店なのでと。
3746、晴京 (ハルキョウ) 3.54、個人3.2
2022/02/08(火)、勤務先近所ランチ、晴京 (ハルキョウ) 3.54、個人3.2、
そこそこの焼鳥屋で、ランチは親子丼推しの店結構あるけど、
単純にさ、味付けが甘くて残念って店多くない?
3745、人形町らーめん いなせ (【旧店名】らーめん せい家) 3.49、個人3.2
2022/02/06(日)、近所家族ランチ、人形町らーめん いなせ (【旧店名】らーめん せい家) 3.49、個人3.2、
結構古い店の印象、まあ、家系、まあ、しょっぱい、まあ、狭い。
3744、鮨・酒・肴 杉玉 両国 3.35、個人3.3
そのまま両国でディナー、まだ新しかった、鮨・酒・肴 杉玉 両国 3.35、個人3.3、
最近結構店舗が増えている印象、スシローがやってるのね。
もっと使い勝手のよい時間にやっていたと記憶するんだが、かわったのか。
気軽だし、品ぞろえも豊富なので嫌いではないんだが、ローテには入ってない。
3743、東京都復興記念館(とうきょうと ふっこうきねんかん)
同じく横網町公園内、東京都復興記念館(とうきょうと ふっこうきねんかん)、
>東京都復興記念館(とうきょうと ふっこうきねんかん)は、東京都墨田区横網二丁目の横網町公園内にある博物館で、管理運営は公益財団法人東京都慰霊協会が行っている。横網町公園は、1930年(昭和5年)9月1日、震災のメモリアルパークとして造られ、公園内の復興記念館は、1931年(昭和6年)8月18日に開館した。関東大震災の惨事を長く後世に伝え、また焦土を復興させた当時の大事業を記念するためのもので、震災の惨禍を物語る多くの遺品や資料、古今の各地における震火災に関する諸資料が保存されている。また、戦後には隣接する慰霊堂(震災記念堂から改称)に戦災者の遺骨が収められ、そのうち住所氏名が明らかである分の名簿が復興記念館に保管されている。合わせて太平洋戦争末期における東京大空襲などの戦災関係資料を保存・展示している。
引用終わり、
そんなわけで、こっちは結構見どころのある資料館。もちろん無料。
家の近所にこういう施設があるのはいいことであります。
しばらくしたらまた行こうと思っている。
まだまだ他に見られそうな施設があるので、なかなか行っていないけど。
3742、東京都慰霊堂(とうきょうと いれいどう)
そんなわけで、横網町公園内にある、東京都慰霊堂(とうきょうと いれいどう)、
>東京都慰霊堂(とうきょうと いれいどう)は東京都墨田区横網の横網町公園内にある慰霊施設。1930年(昭和5年)に関東大震災の身元不明の遺骨を納め、死亡者の霊を祀る震災記念堂(しんさい きねんどう)として創建され、1948年(昭和23年)より東京大空襲の身元不明の遺骨を納め、死亡者の霊を合祀して、1951年(昭和26年)に現在の姿となった。東京都の施設であるが、仏教各宗により祭祀されている。震災と戦災の犠牲者16万3000柱を供養し、また毎年3月10日と9月1日に大法要が営まれる。現在は公益財団法人東京都慰霊協会が管理運営を行っている。
外観は日本旧来の神社仏閣様式であるものの、納骨室のある三重塔は中国やインド風の様式を取り入れ、講堂内部はキリスト教会で見られるバシリカ様式とし、内部に列柱を設けて中央の広い身廊と左右の側廊との空間を分けている。内部の壁や天井にはアラベスク的紋様も採用し、全体として多くの宗教的要素を取り入れた折衷的構成となっている。鉄筋コンクリート構造により、1945年3月10日の東京大空襲など、戦時中、多くの空襲下でも難を逃れた。
引用終わり、
そんなわけで、結構よい雰囲気な建物であります。
気軽に入れるのです。
3741、横網町公園(よこあみちょうこうえん)
ランチ後、凧あげが出来る場所を求め、横網町公園(よこあみちょうこうえん)、
>横網町公園(よこあみちょうこうえん)は、東京都墨田区横網にある東京都立の公園である。当公園は元々陸軍被服本廠があった場所で、1922年に王子区(現在の北区)赤羽台に移転した後、東京市(当時)が買収して公園として整備したものである。工事は1923年7月に開始されたが、その最中の同年9月1日に関東大震災が発生した。炎に追われた人々は造成中だった当公園を絶好の避難場所とみなして集まってきた。被服廠跡地に集った避難民は約4万人に達したという。だが16時頃、敷地は火災に取り巻かれ、熱風が人々を襲った。避難の際に持ち出した家財道具に火が移り、さらには巨大な火災旋風が発生し、人はおろか荷物や馬車までもを巻き上げ、炎の中に飲み込んでいった。結果、横網町公園に避難した人だけで3万8,000人が犠牲になったという。
1945年、東京は第二次世界大戦によって再び焦土と化し、特に3月10日の東京大空襲による犠牲者の遺体は、当公園をはじめ多くの公園に仮埋葬されていた。その後、第二次世界大戦によって生じた身元不明の遺骨などを、当公園にある納骨堂を拡張した「震災記念堂」に合祀されることになった。
引用終わり、
そんなわけで、単なる公園でなく、なかなかヘビィな歴史があります。
そしてそんなに広くなく、そこそこ樹木もあるので凧あげには不向き。
それとネタになりがちな、両国国技館のすぐ近くなので、
横綱町と読まれがちだけど、横網。