Author Archives: なおみ

2118、四国散策 no.57 松山城 no.2 「日本100名城」

>創設

>松山城の創設者は加藤嘉明です。

>嘉明は羽柴秀吉に見出されてその家臣となり、20才の時に賤ヶ岳の合戦において七本槍の一人としても有名です。

>慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いにおいて徳川家康側に従軍し、その戦功を認められて20万石となります。

>そこで嘉明は同7年に道後平野の中枢部にある勝山に城郭を築くため、普請奉行に足立重信を命じて地割を行い工事に着手し、翌8年(1603)10月に嘉明は居を新城下に移し、初めて松山という名称が公にされました。

>その後も工事は継続され、四半世紀の後にようやく完成します。

>当時の天守は五重で偉観を誇ります。

>江戸時代から現存する天守

>しかし嘉明は松山にあること25年、寛永4年(1627)に会津へ転封されることになりました。

>そのあとへ蒲生氏郷の孫忠知が出羽国(山形県)上の山城から入国し、二之丸の築造を完成しましたが寛永11年8月参勤交代の途中、在城7年目に京都で病没し、嗣子がいないので断絶します。

>その後寛永12年(1635)7月伊勢国(三重県)桑名城主松平定行が松山藩主15万石に封じられて以来、14代世襲して明治維新に至りました。

>なお天守は寛永19年(1642)に三重に改築されましたが、天明4年(1784)元旦に落雷で焼失したので、文政3年(1820)から再建工事に着手し、35年の歳月を経て安政元年(1854)に復興しました。

>これが現在の天守です。

>現在へ

>その後、昭和に入り小天守やその他の櫓が放火や戦災などのため焼失しましたが、昭和41年から全国にも例を見ない総木造による復元が進められました。

>基本データ

>松山市の中心部、勝山(標高132m)にそびえ立つ松山城は、賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦で有名な七本槍の1人、加藤嘉明が築き始めたお城です。

>門・櫓・塀を多数備え、狭間や石落とし、高石垣などを巧みに配し、攻守の機能に優れた連立式天守を構えた平山城と言われております。

>松山城は、日本で12か所しか残っていない「現存12天守」のうちのひとつ、江戸時代以前に建造された天守を有する城郭の一つです。

>平成18年に「日本100名城」、平成19年には道後温泉とともに「美しい日本の歴史的風土100選」に選定されました。

>また、日本で唯一現存している望楼型二重櫓である野原櫓や、「現存12天守」の城郭では松山城と彦根城しか存在が確認されていない、

>韓国の倭城の防備手法である「登り石垣」が二之丸から本丸にかけてあり、堀之内を含む城山公園全体が国の史跡で、

>「日本さくら名所100選(平成2年)」や「日本の歴史公園100選(平成18年)」の指定も受けています。

写真が終わらないなぁ、

まだ、天守にもついてないのに、

ええと、いろんなサイズの狭間、

下から、

幾つめの門?であろう、

再度櫓?

というかいよいよ建物入口?

そしていい天気、

うむ、入る模様、

2117、四国散策 no.56 松山城 no.1 ロープウェイでいざ

続いて、松山城を目指す、手元のいろいろ券1,700円、

行き方はいろいろあるんだろうけど、基本のロープウェイ、

松山城を築城した、加藤嘉明由来の、よしあきくん、

ロープウェイ乗り場、

樹と空、

青空と、下りのロープウェイ、

とりあえず、高所恐怖症の私は、どっちかというと、ロープウェイというかリフトが得意ではない、

が、到着。

2116、東京へ戻り思うこと no.6 公園事情

2020/02/24(月・祝)は、相方が友人と会っていたので、
久しぶりに息子と二人、昼過ぎから公園などに行ってみ、
相方からの報告を踏まえると、
大阪のブランコは、座るところがおむつというか、パンツというか、
すっぽり包むタイプのが結構ありまして、
それこそ1歳児でも乗れないことはない。
一方東京では今のところ見ない。

それから大阪の砂場には砂以外特に何もないんだけど、
東京は、砂場で遊ぶシャベルとかバケツとかが置いてある。

だから何だという話だが、東西で違うのだなぁと。

2115、親になる no.151 はじめての手を洗う

まったく最近の話ではないのだが、外出から戻ると自ら手を洗おうと、腕まくりをしようとする。
相方の教育なのか、我々を観て真似しているのか知らんけど、
たまたま新型ウィルスなんかが気になる時期なので結構なことであります。
うちの子が成長している、ってことよりは、ホントに親を真似しているな。
基本的に私は、潔癖症でもなんでもないんだけど、
外から入ると、外食時とかも店に入ったら、生を頼んでから
トイレに行き、手洗いとうがいをしないと気が済まないたちでして、
こういうことは真似てもらいたいもんだが、今のところうがいはしない。

2114、四国散策 no.55 萬翠荘、知らんかったけど立派

改めて2017/12/13(水)、まずは萬翠荘、ばんすいそう、
9時オープンの9:30着、さすがの平日で他の観光客もまばら、

>大正浪漫を今に伝える、日本が誇るフランス風洋館

>萬翠荘は、大正11年(1922年)旧松山藩主の子孫にあたる久松 定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が、別邸として建設したものです。

>陸軍駐在武官としてフランス生活が長かった定謨伯爵好みの、純フランス風の建物は、当時最高の社交の場として各界名士が集まり、皇族方がご来県の際は、必ず立ち寄られたところであります。

>また、裕仁親王(後の昭和天皇)の松山訪問に合わせ、完成を急がせたとも伝えられております。

>萬翠荘は戦禍を免れ、建築当時の様子をそのまま残す貴重な建築物として、昭和60年(1985年)に愛媛県指定有形文化財となりました。

>その後、平成23年(2011年11月29日)に萬翠荘本館と管理人舎の2棟が国重要文化財に指定されています。

>建築その物も美術品ですが現在は、絵画、掛け軸、伝統芸術品、各種イベント、個展を随時行っています。

>同敷地内には愚陀佛庵があり句会が行われておりましたが、平成22年7月の土砂崩れにより全壊し、現在は跡地のみとなっております。

>この敷地は、松山藩の家老屋敷の跡地であり、夏目漱石が明治28年、松山中学の英語の教師として赴任した折に下宿をしておりました、

>「愛松亭」のあったところでもあります。〔現在の敷地面積9,535.05m²(含山林)(2,884坪)〕

>大正11年に建てられ、約30万円といわれております。

>県庁本館が昭和4年に約100万円で建設されましたが、その7~8年前にはるかに小規模の分館に約1/3の30万円を要したということは、いかに巨費であったかご理解いただけると思います。

引用終わり、300円、
知らんかったけど、立派でありました。

2113、四国散策 no.54 素敵なホテルでした

ちゃんと調べればわかるのだろうけど、面倒なので何というホテルかわからんのだが、
ご覧の通り、みかんはもちろん、豚汁やらおにぎりなんかのサービスはついつい食べてしまうから

身体にいいのか知らんが、嬉しいは嬉しい。

あけて2017/12/13(水)、そうかそうか、ここは朝食がとても素敵なんでした、
この種類の多さはやばい、9個にわかれた皿だからね、普通は4でしょ、

生みかんジュースマッシーン、贅沢、

フルーツの種類もすごいなぁ。
そんなに高いホテルということもなかったと記憶する。

2112、四国散策 no.53 夜の道後温泉

夕食後、夜の道後温泉本館、
道後温泉はいわゆる温泉街でありますが、その歴史と人気は全国でも上位であり、
老舗と新しいカジュアルさやシックがいい感じでまとまっているなと思う。

なもんで、時間があったこともあるけれど、しっかりとお土産などを散策し、
ビールと日本酒の飲み比べ、レンタカーというか車の旅だと、多少こういうのが多めになっても問題ないのがよい。
夜中足りなくなるのは最悪だし。

身重の相方はこっち、一六タルト、お土産で食べたことあるんだろうけど、改めて。

2111、四国散策 no.52 おいでん家 道後店 3.58、

道後温泉本館近く、おいでん家(おいでんか)道後店、3.58、

お通し、鯛の湯引き?

メニューに郷土料理のページがありました、
小ふぐの唐揚げ、900円、

鯛押しの店でございまして、うーん、でかい、

野菜天ぷら900円、

北条風鯛めし、500円、
こないだ書いた宇和島鯛めしとは似てない非なるもの、

郷土料理ではなさそうなので、ししゃも?

普通に美味しかったかと。

2110、引っ越しのお手伝い no.3

引っ越しのお手伝いというか、ガス台には元栓があるということを
ついさっき初めて知りました。
いや、冷静に考えれば当たり前なんだろうけど、
何分ビルトインなので、普段外に出てないしさ。

なんだかんだとそれどころでなく、
昨晩ガスをつけようとしたら着かない。
電池かと思って新しいのを買ったり、お湯は使えているのだから、
ガスの元栓が開いてないってことはないのに、元栓観に行ったり、
説明書を引っ張り出してきたのだが、
ガス台とは違う話らしく、説明書には書いて無く、
元栓は下のキャビネットにあったのでした。
以前10年近く住んでいたわけで、忘れたのではなく、
知らずに生活していたらしい。

そして何のことはない、
こないだまで住んでくれていた人にメールをすれば済んだ話だったのでした。
何度も何度もいろいろとありがとう。

2109、東京へ戻り思うこと no.5 満員電車がえぐい

結局サッサと書かないと忘れてしまうので書いておくと、
2020/02/13(木)、歓迎会があり、18時過ぎ、茅場町の会社を出て新宿へ、
銀座線で赤坂見附、そこから丸の内で新宿三丁目なんだが、
銀座線がやばかった、すっかり忘れていたよ、東京の満員電車がこんなに大変だったことを。
ドア脇だったので、そうはいっても大丈夫かと思っていたら、
逃げ場がなく、腰がぶつかって折れるんじゃないかと。
こんなことならタクシーで行けばよかったと、というか、歓迎会なんか断ってしまえばよかったと、
柄にもないことを思うくらい大変でした。
まあ、世の人々は毎日これをしてるんだから凄いなぁと思う。

ちなみに、大阪も電車が混むことはあるんだろうけど、そこまで無理して乗ってこないのよね、みんな。