近所一人ディナー、まだ天気が悪かったのか誰かの体調が悪かったのか、この日は夜も別行動、
おでんと肉豆富料理 酒場ゴロー 神田駅前店 3.35、個人3.3、
夜といっても早めの時間だろうから店の選択肢は限られなんとなく入った店は、
味はまあまあなんだけど、一人飲みウェルカムなのに、一品の量が多く、
そしてとても狭い、親切ではない店。
Author Archives: なおみ
3569、青島食堂 秋葉原店 3.79、個人4.0
2021/08/08(日)、一人近所ランチ、青島食堂 秋葉原店 3.79、個人4.0、
夏季休暇残りわずか、ここははっきり覚えていて、
かなりの悪天候だったので、さすがに空いてるかとチャリで向かって、10分前についたけど、入店は二巡目だったかな。
むかしむかーし一度行ったきり、行列がえぐくて戻ってからははじめて、
新潟長岡生姜醤油ラーメン、ってことで、もう少し薄味でも油がちょっと多いかなとも思いつつ、
行列も納得の味。
3568、ドリアン 3.08、個人2.9
サマーランド内でランチ、ドリアン 3.08、個人2.9、
こういうところとか、観光地とかでさ、めっちゃ行列が出来る店が出店とかって
出来ないもんなのかね、品質を落とすことなく。
3567、東京サマーランド(とうきょうサマーランド)
2021/08/06(金)、岐阜から戻った日は実家に車を返しに行かず、自宅近くのコインパーキングに駐車、
翌日、会社から入場券が回ってきた、東京サマーランド(とうきょうサマーランド)、
>東京サマーランド(とうきょうサマーランド)は、東京都あきる野市にある遊園地。日本最大級の流れるプールや天候を気にせず遊べるドーム内プールなど、多彩なウォーターアトラクションが中心。また、株式会社東京サマーランドは、これを運営する企業で、東京都競馬の完全子会社である。
何十年ぶりだか知らんけど、むかしむかーし家族で行ったのだろうけど、
もちろん、何一つ覚えていなく。
しかし安くないお金を払って、劇混みで不便で、わざわざ行くところなのかね。
3566、岐阜散策 no.42 諏訪湖サービスエリア上り線 3.17、個人3.1
3565、岐阜散策 no.41 合掌茶屋 3.23、個人3.3
合掌村内でランチ、合掌茶屋 3.23、個人3.3、
写真がなにので、何を食べたのかわからんのだけど、
五平餅とか、そばとか、団子とか、そういうメニュー、
味、雰囲気ともに、それなり。
3564、岐阜散策 no.40 下呂温泉合掌村(げろおんせんがっしょうむら)
この日のメイン、下呂温泉合掌村(げろおんせんがっしょうむら)
>下呂温泉合掌村(げろおんせんがっしょうむら)は、岐阜県下呂市森にある博物館類似施設(野外博物館)。下呂温泉でもっとも規模の大きい観光施設。飛騨地方の生活文化が体験できる。下呂市の直営で、地方公営企業法(財務)を適用している。下呂温泉でもっとも規模の大きな観光施設である。
>村内は「合掌の里」「歳時記の森」の2つのゾーンで構成されている。「合掌の里」には重要文化財「旧大戸家住宅」を中心に白川郷、五箇山から移築保存された合掌造り家屋10棟が点在し、飛騨地方の民具の展示などがされている。山手には下呂花見山「歳時記の森」がある。
>村内には四季の山野草などが植えられ、飛騨の自然が感じられる。また、陶芸や陶器の絵付け・手びねり、和紙の絵漉きも体験できる。
>村内の合掌造りの劇場、影絵昔話館「しらさぎ座」は、日本で唯一常設の影絵劇場。1996年(平成8年)春に1人で百体の人形を操る「竹原文楽」の終演によって、それに変わる下呂の文化・新しい観光資源、オンリーワンの観光資源を築こうと1人の市職員の発案と取組みにより下呂市・下呂温泉合掌村が企画した。横浜市に本社がある劇団かかし座が委託され、演目を制作し公演していた。
>影絵昔話館「しらさぎ座」は、多くの観光客を魅了していたが、2017年(平成29年)に公演を終了した。
引用終わり、
と言われても、なかなかぜひ見たかったという内容が想像されない影絵劇、
そして、世界遺産だからって、合掌造りがそこまで興味深いかというと。
3563、岐阜散策 no.39 温泉寺(おんせんじ)
2021/08/05(木)、温泉寺(おんせんじ)、
>温泉寺(おんせんじ)は、岐阜県下呂市にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は醫王霊山。本尊は薬師如来。中部四十九薬師霊場第37番霊場。一羽の白鷺が下呂温泉の源泉を知らせたという「白鷺伝説」に由来する寺である。境内の本堂の前にある薬師如来像の下からは温泉がわきあがっており、霊泉とされている。
>下呂温泉は平安時代の天暦年間以前から存在していたが、1265年(文永2年)に源泉が枯れてしまう。源泉が枯れてしまった翌日、飛騨川の河原に一羽の白鷺が舞い降りたのに村人が気づき、その場へ行くと温泉が湧いていた。白鷺は空高く舞い上がり、中根山の中腹の松に止まった。その松の下には一体の薬師如来が鎮座していたという。その薬師如来を安置するために、「湯島薬師堂」が創建される。1671年(寛文11年)、禅昌寺八世剛山和尚を中興開山に迎え、醫王霊山 温泉寺として再興する。
引用終わり、
なんともいかしたというか、ひねりがないというかな、名前のお寺。