Author Archives: なおみ

4079、らぁめん 満来 (まんらい) 3.73、個人3.2

2022/10/20(木)、営業先ランチ、らぁめん 満来 (まんらい) 3.73、個人3.2、
結構な人気店でありますが、なんとも美味しさがいまいちわからなかったんだけど、
今思えばまた食べたいとは思う。なんともあっさりした味でしたか。
とはいえ、納豆を入れて食べるのが人気で、いれたかどうか覚えてない。

4077、竹岡式ラーメン まる竹 3.53、個人2.5

この日は、誰かの体調が悪かったのか、この後天候が悪化したのか、
あるいは、単に記録した日を間違えているのか、
近所一人ディナー、竹岡式ラーメン まる竹 3.53、個人2.5、
評価が高いのだけど、とにかくしょっぱいラーメンで嫌い。

4076、スパイスミックス (SPICE MIX) 3.26、個人2.8

浜町公園から自宅に戻りがてら、近所家族ランチ、2022年4月19日、比較的最近できたばかりの、
スパイスミックス (SPICE MIX) 3.26、個人2.8、
ありがちなどうでもよさげな、向こうの方がやっているカレー屋。
うーんな出来なんだんが、なんだかんだ続いているのか。

4075、浜町公園で何かのイベント

2022/10/16(日)、浜町公園でなんかイベントがあり、ミニSLに乗ったり、和太鼓をたたいたり、
体育館の中で迷路や射的など、書くのが億劫なので、結構いろいろできたっぽいんだが、
イベントの名前がわからん。

4074、親になる no.289、長女はじめてのわくわくはっぴょうかい

2025/02/13(木)、長女はじめてのわくわくはっぴょうかい、ということで、
計画休を取り、09:50受付開始、10:00-10:25上演、
近くの喫茶店でモーニングをし、早めにつきすぎ風の強い中待つ。
遅くなりばたばたするよりは早めに行った方がよいものの、毎度毎度。
こういう学校行事とかは妙に早く行くんだけど、家族ごとではいつものんびりしている相方、なんなんだろうなぁ。

さて、表現遊び「さくらのもりで ふうふうのふー!」三匹の子豚みたいな筋の話。
先生が話を進めようといろいろ園児たちを誘導しようとするも、さすがに年少なので、なかなかうまくいかない場面も。
歌「ぺんぎんさん」、最近、自宅のグーグルスマートスピーカーにペンギンの鳴き声を聞くのが小ブーム、関係ないけど。
楽器遊び「森のかじや」「ゆきだるまのチャチャチャ」
時間的に飽きたのか疲れたのか、いうことをきかない子が増え始め。

3月生まれの長男に比べ6月生まれなのと、長男のことを見てなんでも真似して、
なんでも早くできる子なので、他の子よりもよっぽどしっかりしているのかと思っていたけども、
そうでもなく。
わざわざ休んでまで、なぜ見にいくのかと相方に聞くと、可愛いでしょと言われ、
別に普段から可愛いのであろうし、特段違った可愛さを別途感じるわけでもなく。
いや、別に貴重な計画休を使って行きたくない、というつもりはないのだけどさ。

結局、長女には申し訳ないけれど、
長男の時と違い、どうしたって、こっち側が新鮮な目で見られないので、
面白さは減るよね、こればっかりはどうしようもないんだろうけど。

4072、松陰神社(しょういんじんじゃ)

続いての目的地、松陰神社(しょういんじんじゃ)、

>松陰神社(しょういんじんじゃ)は、山口県萩市および東京都世田谷区にある神社である。幕末の思想家・教育者である吉田松陰、および彼の門人である伊藤博文、山縣有朋はじめ、松下村塾の生徒を祭神とする。学問の神として崇敬を受ける。
松陰神社(東京都)
東京都世田谷区若林に所在する。若林は吉良氏の領地だった。旧社格は府社。付近には国士舘大学(世田谷キャンパス)や世田谷区役所がある。松陰神社前駅(東急世田谷線)下車。鎮座地にはかつて長州藩主の別邸があった。松陰が安政の大獄で刑死した4年後の1863年(文久3年)、高杉晋作など松陰の門人によって小塚原の回向院にあった松陰の墓が当地に改葬された。1882年(明治15年)11月21日、門下の人々によって墓の側に松陰を祀る神社が創建された。現在の社殿は1927年から1928年にかけて造営されたものである。松陰の50年祭に際して寄進された26基の燈籠には伊藤博文、木戸孝正、山縣有朋、桂太郎、乃木希典、井上馨、青木周蔵などの名前が刻まれている。松下村塾を模造した建物、頼三樹三郎、広沢真臣らの墓もある。松陰らが眠る墓域は幕末時代、徳川勢により一度破壊されたが、明治元年(慶応4年)、木戸孝允がこれを修復整備した。墓域には現在も、木戸が寄進した鳥居が残っている。また、敷地に隣接する形で桂太郎の墓もあるが、案内が不十分なこともあり、参拝者は少ない。桂自身の遺言により、この地に埋葬された。ともに松陰神社がある縁から、1996年に世田谷区と萩市は友好都市提携を行っている。1992年より世田谷と萩では商店街などの民間交流がはじまった。若林では「萩・世田谷幕末維新祭り」が開催されている。境内には松下村塾もあるが(下の画像参照)、これは萩の松陰神社境内に保存されている松下村塾を模し復元建造されたものである。なお、徳富蘆花の「謀反論」でも書かれているが、谷を挟んだ向こう側には豪徳寺がある。豪徳寺は吉田を刑死させた安政の大獄を起こした井伊直弼の菩提寺である。

引用終わり、

そんなわけで、死後結構神様になりやすい日本ではあるものの、松陰が神になるほどなのかは知らんけど、
まあ、昨今ファンは多いですねと。
さすがにそこまで歴史があるわけはなく、ありがたみやおごそか感は弱めながら、
歴史にある程度興味がある人はいかんといかんとはなる。

4071、豪徳寺(ごうとくじ)

この日の次の目的地、豪徳寺(ごうとくじ)、

>豪徳寺(ごうとくじ)は、東京都世田谷区豪徳寺二丁目にある曹洞宗の寺院。元は臨済宗。山号は大谿山(だいけいざん)。一説には招き猫発祥の地とされる。本寺付近は、中世の武蔵吉良氏が居館とし、天正18年(1590年)の小田原征伐で廃城となった世田谷城の主要部だったとされる。文明12年(1480年)、世田谷城主・吉良政忠が伯母で頼高の娘である弘徳院のために「弘徳院」と称する庵を結んだ。当初は臨済宗に属していたが、天正12年(1584年)に曹洞宗に転じる。他に、重臣の關口刑部家一族の墓所が存在しているようだ。寛永10年(1633年)、彦根藩主・井伊直孝が井伊家の菩提寺として伽藍を創建し整備した。寺号は直孝の戒名である「久昌院殿豪徳天英居士」による。平成18年(2006年)に猫の彫り物が施された三重塔が新たに建立された。

招き猫伝説、招福猫児
招き猫発祥の地とする説がある。井伊直孝が猫により門内に招き入れられ、雷雨を避け、和尚の法談を聞くことができたことを大いに喜び、後に井伊家御菩提所としたという。豪徳寺では「招福猫児(まねぎねこ)」と称し、招猫観音(招福観世音菩薩、招福猫児はその眷属)を祀る「招猫殿」を置く[3]。招猫殿の横には、願が成就したお礼として、数多くの招福猫児が奉納されている。ちなみに、招福猫児は右手を上げており、小判などを持たない素朴な白い招き猫である。

引用終わり、

豪徳寺駅を降りたことも近くを歩いたこともあるのだろうけど、
境内をお参りするのははじめて。
さすがに、広めで、数多い招き猫の数もしっかりと。