1333年、赤松則村、護良親王の命により挙兵、京に兵をすすめる途中、姫山に砦を築く
1346年、赤松貞範、姫山に本格的な城を築く
1441年、山名持豊、播磨国を与えられ姫路に入る
1467年、応仁の乱 赤松政則、姫路城を陥落し、領国を回復
本丸、鶴見丸を築く 後に一族の小寺氏、その重臣の黒田氏が城をあずかる
1545年、黒田重隆が小寺氏の命により姫路城を任される
1546年、黒田孝高(官兵衛)、姫路城で誕生
(御着城主小寺家家老で姫路城主・黒田職隆の嫡男として姫路城で生まれる。
織田信長に反逆した荒木村重との戦いで有岡城に説得に出向き、1年間の受牢。
播磨に進出した羽柴秀吉の軍師として中国攻めなどに戦略的手腕を発揮する。)
1580年、羽柴秀吉が黒田孝高の勧めで入城
(中国毛利勢討伐の武将として播磨入りし1580年正月、
三木城の別所長治を滅ぼし、播磨を平定。
その後、黒田孝高の進言を受け、同年4月、
毛利氏攻略の拠点として姫路に入る。
1583年に大阪城を築くまで3年間姫路城主。)
1581年、秀吉、姫路城に三重天守を築く
1583年、秀吉が大阪城へ移り、弟・羽柴秀長が入封