1585年、秀吉の正室(北政所)の兄、木下家定が入封
1600年、関ヶ原の戦の後、池田輝政が姫路城主に
(戦国武将・池田恒興の次男。
小牧・長久手の戦で父と兄が戦死し、父の後を継いで大垣城主。
その後、岐阜城に移る。
秀吉の小田原攻め、会津攻めに参戦。
1594年に秀吉の仲介で徳川家康の次女・督姫と結婚。
その後、関ヶ原の戦いでの武功が認められ、播磨52万石で姫路城主となる。)
1601年、池田輝政、姫路城大改築開始
1609年、五重7階の連立式天守が完成
1617年、本多忠正が伊勢国桑名から嫡男・忠刻、千姫とともに入封
(父は徳川四天王の一人、本多忠勝。
秀吉の小田原攻めや関ヶ原の戦いに参戦。
大坂の陣の戦功により、姫路に転封となる。
2代将軍徳川秀忠の長女・千姫は、7歳で豊臣秀頼と結婚。
大坂夏の陣大坂城から脱出。
1616年、本多忠刻に再嫁し、姫路城で10年過ごす。)