1483、姫路城散策 no.4 写真も歴史も続く

By | 2018年5月29日
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1618年、本多忠政、鷺山に西野丸を築く

1639年、松平忠明が大和国郡山から入封

1648年、松平直基が出羽国山形から入封

1649年、榊原忠次が陸奥国白河から入封

1667年、松平直矩が越後国村上から入封

1682年、本多忠国が陸奥国福島から入封

1704年、榊原政邦が越後国村上から入封

1749年、酒井忠恭が上野国前橋から入封

城下大洪水の被害

1808年、家老・河合道臣が財政改革に着手

(1787年、21歳で家督を継ぎ、姫路藩家老に。

1808年、ときの藩主酒井忠道から負債73万両に膨らんだ

姫路藩財政の立て直しを命じられる。

姫路木綿の江戸専売権取得や様々な運営事業を行い、

1834年には負債を完済。)

松平、酒井、榊原と親藩、譜代がずっとなので、やっぱり重要な拠点だったのだろう。
そんで、陸奥とか越後とか同じ流れで来る人が多いのは、今も昔も出世コースみたいなのがあったということ?

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