「徳川家康の孫娘千姫は、7歳で大坂城の豊臣秀頼のもとへ輿入れしました。
しかし、秀吉死去の後、大阪夏の陣で夫・秀頼は自害し、豊臣家は滅亡。
千姫は燃えさかる炎の中から助け出されました。
江戸城へ帰る道中、警護にあたっていた本多忠政の息子・忠刻と再婚。
千姫20歳、忠刻21歳。
千姫の化粧料(持参金)10万石で、
姫路城三の丸には武蔵野御殿と呼ばれる千姫の屋敷が建てられたといわれ、
城内の池泉回遊式庭園や高砂沖に船を浮かべ、
仲良く連歌を楽しんだとの話も。
勝姫と幸千代の一男一女にも恵まれ
「千姫は、夫・忠刻と暮らした姫路城での生活(10年間)が生涯で一番幸せだった」
と今でも語られています。
しかし、長男・幸千代が3歳のとき病で亡くなり、
5年後には、夫・忠刻も31歳の若さで病に倒れます。
江戸へ帰った千姫は、髪をおろして「天樹院」と号し、
夫や息子を想いながら竹橋御殿で余生を送り、
70年の生涯を閉じました。」
そこまでドラマティックな話かと思うものの、ここでは千姫押しでした。