先ほど帰宅時、特急サザンという、電車の半分が指定半分が自由という列車の
もちろん自由車両で、唯一あいていた席が、生後半年くらいの赤子連れのお母さんの横でありまして、
昔だったら座らなかった気もするが、疲れてもいるのでとりあえず座る。
おいおいと思いましたが、母乳あげケープみたいなのを付けて授乳をはじめたり、
あるいは想定通り、赤子が少なからずよくわからない奇声を上げたり、
なんだったら手やら足やらを元気よくふるので、私にあたったりするわけだが、
何も気にならない自分がおりました。
少なくともお母さんは気にしている風なので、よっぽど写真を見せて家に帰れば似たようなのいるので、
全然気にしないでくださいね、と言うのも考えたけど、まあ精々30分弱だったので。
っで思うに、家のなかで彼がうるさいと、うるさい、と言って注意するのだが、
最初の頃は相方に自分の子供が泣いているのをうるさいと感じるのはどうなんだ?
みたいな議論があり、というかどっちかっていうと、自分の子供がうるさいことをちゃんとうるさいと
感じられる状態でいないと、公共の場で叱れない親になると考えるわけです。
で、今日感じたのは、他人の子供が泣いていることさえ、うるさいと感じない私がになっておりまして、
これはいいことなのか悪いことなのか?
いやまあ、お母さんが、静かにさせようとしているからセーフで、
これが親がほっておいたら、むかつくのでやっぱりうるさいと感じるってことなんだろうか?
いずれにしろ、彼が公共の場でうるさそうであれば、
全力でなんとかする自分でいたいと考えてはおります。
結局相方まかせになって電車の中ではがんがん寝てたりするけどさ、気持ちにはさ。