1643、方広寺、国内史上最悪の言いがかり?

By | 2018年11月5日
Pocket

京都国立博物館周辺を散策。

方広寺の鐘、というだけでわかる人はそれなりの歴史好き。

その歴史に残る鐘の実物が普通にそこに吊るされておりまして、
突くことさえ出来ないものの見学は自由。

本堂拝観200円とあるんだが、どうも気配が微妙なので鐘だけみてあとにする。

>徳川家康の勧めにより、かつて羽柴秀吉が建立し、地震で倒れたままになっていた東山方広寺の大仏殿を豊臣秀頼が再建することになった。
そしてその修営も終わり、慶長19年(1614)にその梵鐘の銘が入れられたときになって、家康はその文言に重大な言いがかりをつけたのである。

>「国家安康」という句は家康の名を切ったものであり、「君臣豊楽、子孫殷昌」は豊臣を君として子孫の殷昌を楽しむ、と解釈し、
徳川を呪詛して豊臣の繁栄を願うものだと激怒したのである。

引用終わり。
ということでなかなかの言いがかりがあった鐘でした。

Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です