連日、時事ネタの時事的ではないことを書きます。
表現の自由、それから、言論の自由、
が我らが日本国憲法では認められていると認識しています。
何の根拠も無く、誹謗中傷を目的としたものには、
私はしないし、感情論として好きにはなれないけれど、
そこまでも含めてありだと思っている。
今回の問題は、2年の取材が長いかどうか、充分かどうかはさておき、
取材をした人もされた人も、名前顔出しOKで作品にしているわけです。
さらに、「責任は全て私にあり、スピリッツ編集部に抗議するのはお門違い」
とまで言っているのだから、もう誰かがなんか抗議すること自体がナンセンス。
鼻血と放射能に因果関係があることが科学で証明出来ていなかったとしても、
鼻血が出たことは事実で、因果関係がないことも証明出来ない限りにおいて、
福島から離れる、ということを自分の意志で判断しづらい状態や、
それをしづらい雰囲気が何処かにもしあるなら、
それをすることを応援するや、そのこと自体をもっと議論しようよ、
みたいなことを言っているわけだ。
これは、昨日私が書いた、人は出来るだけ自分が思う通り生きるべきであって、
社会とかシステムとかが阻害している、みたいなのには抗いたい、
ということ。
鼻血が出た人がいる、それに対して、
そんな人は他のエリアと同等だ、みたいな反論や議論はもっと大いにすべきで、
問題は、曖昧や、わからない状態なのに、
風評被害が起きるからという理由で、
そういうことは表現すべきでない、という抗議の仕方。
まさに臭いものには蓋。
ダーウィンの迫害、異端は排除、魔女狩りと一緒ですよ。
(おぼかた女史の話まで持ち出すと長くなるので割愛)
人は誰だって間違う。
今回の話だって、本当は放射能の被害なんて実はないのかもしれない。
それによって、風評被害が出てそれが復興の妨げになる、
それは大いにありうるでしょう。
もしそうだったら、そこは後でちゃんと謝ると。
そうじゃなくて、そこが実際どうなのか、ってのが、
どうも信頼持てないんだよね、だって、
鼻血も出てるしさ、と思ったんだから、
そこをもっと議論しようよ、と言ってるんだから、
そこは受け入れようよ、と私は思う。
そして申し訳ないとも思うけど、私は私が食べるものはおいといて、
少なくとも私が料理して、誰かに食べてもらうものに関しては、
しばらく福島産の食べ物は避けようとする気がする。
そんなことは一切必要ないんだよ、
まったく心配しなくていいんだよ、
と私たち消費者が納得する情報を提供する義務は、
政府や東電にある。
それがなされない限り、福島周辺の産地にまつわる
風評的被害による経済的損失や心労的ダメージに対しては、すべて、
政府や東電が、ひいては我々国民が保障すべきである、
と考える。
さて、今週はおろか、ここ数年、美味しんぼは一切読んでません。