生ということ no 2

By | 2014年5月29日
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八橋、麦・米・卵、活、稲晃子、類憐みの令、ってのもあるね。

さて、生とライブについて書き続けます。

次に生まれるポイントは、
芝居を生で観るのと、DVDで観る、
ライブを生で聞くのと、DVDで観る、
ってのは近いのかな。
っで、野球を球場で観るのと、テレビでライブで観る、
のはあきらかに違う気がする。
もう少し広げると、映画を地上波初で観るのと、
劇場で見るのとは違うし、
もっと言うと、
DVDでスターウォーズ借りて観るのと、
テレビで流れてるのを観るのはやっぱり違うと思うんだ。

もっと話広げると、古典の授業で春はあけぼの、
って読むのと、今なんとなく枕草子を改めて読むのは
やっぱり違うと思うわけ。

結果がわかるわからないで観られるかみられないかはあることはわかりつつ、
映画で言えば、劇場で見るか、DVDで見るか、テレビ放送で見るか、でも、
同じ初見で筋を知らない、用は何が起こるかはわからない、
ってのは同じだけど、やっぱ受け手には、いろんなバイアスがかかってると思うわけ。

何がいいたいかを書きますと、
芝居をやっていた人間として、
テレビより映画より、舞台だから、いい、
舞台だから、生だからの良さがある、
と根拠レスに思っていた時期がありました。
っで、結果がわかっているものと、そうじゃないのであれば、
わかってると気持ち盛り上がらないよね、
ってのも、重ねた前提として生きてきたわけだけど、
はて、本当にそうなのか?
と今回考えて、考え直してみる次第。
そうでもいいんだけど、ほんじゃあ、
なんでそうなのか、ってのは、もっとしっかり自分で納得したい、
って感じ。
冷静に考えると、テレビや映画の良さって、編集にあるわけで、
生の反対軸を無理やり作るなら、編集にあるわけだから、
どっちがいい、なんてものは、そもそも存在してないわけで、
というか、そもそもどっちがいい、という話なんかそもそもしてないよな、
とか思いつつ。

さりとて、生の良さってなんだろう、
が、何が起こるかわからない、とか、
その場にいるからどうこうとか、であるならば、
いくらでも反論が出来てしまうので、
説明が足りない、とは改めて思いますね。

ふーむ、面白いってなんだろう。

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