偽善

By | 2014年6月19日
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ほんとの一読者のコメントに左右されるブログです。

タイトルが正しいかどうかわからないけど、
昨日の花の話みたいな話。

今日、部下と同行で新宿三丁目から四谷方面へ丸ノ内線に乗る際に、
改札の後、ホームまで、くだり階段がある。

前方で、ベビーカーに赤ちゃんと載せた女性と、
その隣に、その人のお母さん。
女性がお子さんを抱いたはいいものの、
母は、そこそこ買い物袋で両手はいい感じに手が塞がっている。

知っている人は知っているかもしれなけれど、
階段は結構狭くて、3人くらいの幅しかないわけ。

邪魔なんだけど、というオーラを出しつつ、
脇をよけていく人々。

遅れてというか、普通にその場に言わせた私、
特に何も言いません。
おもむろにベビーカーを持って、階段を降りる。
眼だけあわせてさっさとその場を去る。

別に部下がいたからしたわけでもなく、
そういうシーンに出くわしたら、普通にやること。

部下から、カッコいいっす、と言われても、
なんかそういわれたりすることとか、
もっとみんな普通にそうしようよ、と、
言語化するのもなんか違うかな、とか思って過ごしている。

新宿で働いて5年、
ベビーカーを運んだのは、たぶん50回とかあって、
でっかいスーツケースに難儀してそうな人のを運んだことも多々。

断られたことももちろんあるけれど、
昨日の花の話と同様、
俺は俺以外の誰かが、
そういうことをしているのを見たことが一度もない。
俺がそういうことをすることはどうでもいいとして、
それを誰かがしていない、という事実はとても寂しい。
(たまたま俺が眼にしないだけで、もっと普通に行われていると信じる)

部下が言うに、電車でせき譲るのと同様、
恥ずかしい、がまずあるらしい、んだよね。
拒否されたらどうとか。

そんなことは超どうでもよくて、
とにかく形にしてみろよ、と。

したことないなら、
そうした方がいいと、思ったことなんかないんだって。

目の前の困った人を助けたい、とかではなくて、
そうすることが、私にとっては、
ただただ当たり前、というだけであって。

そういうもろもろの行為を、こうしてわざわざ書くのは、本当は本位ではない。
そうして生きてきたし、これからも生きていくだけのこと。

誰かにそれを押し付けるつもりもないし、そうあるべきだ、
とわざわざ言いたくもない。

だから、タイトルは偽善。

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