2059、四国散策 no.21 高知城 no.4、日本100名城

By | 2019年12月28日
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最上階からの眺め、

建物とかの説明写真があるところは親切で嬉しい、

実は海が見えない?

>天守の鯱

>鯱というのは、頭は龍のようで背中に鋭いトゲを有する想像の魚で、海に棲むので防火の効があるという考え方で、城郭建築に多く用いられている。

>高知城では追手門の鯱は瓦であるが、天守の上重、下重の計4個の鯱は青銅製で、いずれも形が整っていて美しい。

>この鯱は、宝暦7年(1757)と寛政4年(1792)いずれも7月26日に大暴風雨で墜落し、寛政4年のときは、鉄門を登ったところの左手にあった横目(役人)の控所の屋根を貫いた。

>1601年、山内一豊土佐国に入国し浦戸城に居城
現在の城山・大高坂山を新城の地と定め江戸幕府へ報告
百々越前を総奉行として築城の命を下し地鎮祭を催す
鍬初式を行ない築城着工にかかる

>1603年、本丸と二ノ丸の石垣工事が完成
本丸・詰門・廊下門・太鼓櫓が竣工
初代藩主山内一豊が入城する
この日城内において盛大な祝宴が催された
大高坂山の地名を「河中山」と改める

>1873年、明治4年(1871年)廃城令により天守等の本丸周辺建造物と追手門を残し城郭建造物がとり払われた

>1934年、国宝に指定される(昭和25年文化財保護法により重要文化財となる)

さすがに日本100名城でした。

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