2130、四国散策 no.68 松山城二之丸史跡庭園、みんなは行かないんだろう

By | 2020年3月10日
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2017/12/14(木)、松山城二之丸史跡庭園から、

松山城が如何に広かったかと、

昨日言ったのはロープウェイだったけど、こっちはほぼ平地、車で、

>二之丸史跡庭園とは

>松山城二之丸史跡庭園は、表御殿跡と奥御殿跡に大別されます。

>表御殿跡は北半分にある「柑橘・草花園」で、各地のカンキツ類や草花で昔の部屋の間取りを表現しています。

>奥御殿跡は西南部にある「流水園」で水と砂利と芝生で昔の部屋の間取りを表現しています。

>東側の「林泉庭」は、露岩を背景にした池や滝を配置して「わび」、「さび」を表現しています。

>発掘によって、その規模や大きさが注目された大井戸遺構は、そのまま露出展示しています。

>庭園内には有料施設として、茶会・句会などの文化的な催しに利用していただくことができる「観恒亭」、「聚楽亭」、「勝山亭」があります。

>松山城二之丸史跡庭園 恋人の聖地に認定

>松山城二之丸史跡庭園は、2013年10月1日「恋人の聖地」として、NPO法人地域活性化支援センターに選定されました。

>これは、和風情緒のある景観に加え、日露戦争時のロシア人捕虜の男性と日本人女性看護師のロマンスを秘めた金貨が出土したことと、

>結婚式の前撮りの場所として、年間500件ほどの撮影が行われていることなど、ロマンティックでプロポーズにふさわしい地域として評価されたことによります。

>二之丸御殿の構成

>松山城二之丸史跡庭園は、藩の中枢としての役割を果たす表御殿と藩主の家族の住居、奥御殿からなり、北側の四脚御門を公式の門とし、足軽などの詰所である御徒歩番所、応接座敷である御広間、書院、その他公式儀礼の間と続きます。

>西側の多聞櫓(たもんやぐら)の門は通用口で、その奥には奥向きの居室や台所・炊事の土間の類が建ち並びます。

>藩主の御居間は東南の日当たりの良い区域に設けられ、御居間と書院との間には黒炬燵(くろごたつ)之間、柳之御間、棕櫚(しゅろ)之御間それに続き鎖之御間、御数奇屋と茶室も備わっています。

引用終わり、

入場料200円、松山城に比べると、人手も非常に少なく、行かない人も多そう。

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