2136、四国散策 no.72 石手寺奥ノ院と石手寺

By | 2020年3月16日
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トンネルを抜け、道を渡って、石手寺奥ノ院、

後ろを振り返ると、この施設とは関係なそうだが、でかい大仏、

>石手寺の歴史・由来

>日本最古といわれる道後温泉の近く。参道が回廊形式となり仲見世のみやげ店が並ぶ。境内は、巡礼者よりも地元のお大師さん信者や観光客が多い霊場である。

>そのもう一つの要因は、境内ほとんどの堂塔が国宝、国の重要文化財に指定されている壮観さで、それに寺宝を常時展示している宝物館を備えており、四国霊場では随一ともいえる文化財の寺院である。

>まず、一部を簡略にふれておこう。国宝は二王門で、高さ7m、間口は三間、横4m、文保2年(1318)の建立、二層入母屋造り本瓦葺き。

>重要文化財には本堂をはじめとして、三重塔、鐘楼、五輪塔、訶梨帝母天堂、護摩堂の建造物と、「建長3年」(1251)の銘が刻まれた愛媛県最古の銅鐘がある。

>縁起によると、神亀5年(728)に伊予の豪族、越智玉純が霊夢に二十五菩薩の降臨を見て、この地が霊地であると感得、熊野12社権現を祀ったのを機に鎮護国家の道場を建立し、聖武天皇(在位724〜49)の勅願所となった。

>翌年の天平元年に行基菩薩が薬師如来像を彫造して本尊に祀って開基し、法相宗の「安養寺」と称した。

>「石手寺」と改称したのは、寛平四年(892)の右衛門三郎再来の説話によるとされる。

>鎌倉時代の風格をそなえ、立体的な曼荼羅形式の伽藍配置を現代に伝える名刹である。

>境内から出土された瓦により、石手寺の前身は680年(白鳳時代)ごろ奈良・法隆寺系列の荘園を基盤として建てられた考証もある。

>石手寺の見どころ
訶梨帝母天堂・落書き堂・洗い石(門前にある別名「渡らずの橋」。裏側に経文が刻まれている。)・阿弥陀堂(二王門を入り左側。ぼけ防止の祈願者が多く参拝する。)

引用終わり、

こちらが国宝の二王門、
結構いいお寺でした。

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