さて、どうしたもんかと少し考えながら、実家から届いたトウモロコシを相方が茹で、
それをばらす、という作業をしているそばで、長男は嬉しそうにつまんでいく、
夏の素敵なシーンの中、
何かの拍子で、私がトウモロコシの粒を落としてしまったわけです、
とっさに気づいた長男は拾う、という形になるわけだけど、
まあ、そこで、なるほどと思い、私が落としてしまって、ごめんなさい、
と言ったのでした。
なんとなく納得している長男を眺めながら気にせず作業を続けていたら、
今度は長男が食べようとしてるトウモロコシの粒を落とした、
そこでなんて言うの?と聞いたら、ひどくあっさり、ごめんなさい、と言ったのでした。
そしてその後は大体いうようになったという話。
結局、ごめんなさい、ということは悪いことをした、なので、ごめんなさい、と言うと、
悪いことをしたことを認めることになるので、それが嫌、ということだったのかな。
なので、ごめんなさい、と言うことを伝えたというよりは、
ごめんなさい、という言葉にそこまで強い意味はなく、
もっと気軽に使う言葉である、と伝えただけのことだった思う。
そしてそのことを伝える、手っ取り早い手段は、それを自分がする、ということなんだやね。
親の背を見て子は育つと。
知らんけど。