3468、松本散策 no.11 荒砥城(あらとじょう)

By | 2023年5月8日
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2021/05/03(月)、荒砥城(あらとじょう)へ

>荒砥城(あらとじょう)は、信濃国更級郡新砥(現・長野県千曲市上山田)にあった日本の城。山城。別名、新砥城。

>山田氏が居城としていたことから「山田城」とする説もある。山城として復元されたのは全国2例目。千曲市指定史跡となっている。

>この地の豪族で村上氏の一族の山田氏の居城であった。村上氏の本城、葛尾城の支城としての役割を果たしていた。

>天文22年(1553年)には武田信玄配下の真田幸綱の調略で屋代氏が寝返ったことにより村上義清が守備した葛尾城が落城したため、武田氏に従った屋代政国にそれまでの屋代城の替え地として、荒砥城を与えられ屋代城から移った。

>天正10年(1582年)、武田氏が滅亡した後、屋代秀正は上杉氏に従い海津城の副将として遇された。

>しかし主将の山浦景国(村上義清の息子)とはしっくり行かなかったようである。

>村上氏一族の中で最初に武田方に寝返った屋代氏は信頼されず、上杉景勝は稲荷山城を築いて監視していた。

>天正12年(1584年)4月1日、秀正は徳川氏に通じたため上杉景勝に攻められ、荒砥城に火を放ち、徳川の下へ出奔して旗本となる。

>荒砥城は以降、廃城となった。

>しかし屋代氏出奔後の領地の一部は景勝の人質となっていた真田信繁(幸村)の領地として与えられたとされている。

残念ながらほとんど再現。
だけんどもまあ雰囲気は。

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