続いて、山寺常山邸
>山寺家は松代藩の中級武士でした。江戸時代末期には山寺常山を輩出し鎌原桐山、佐久間象山とともに松代の三山と称えられました。 常山は松代藩八代藩主真田幸貫の信望も厚く藩政にも尽力し寺社奉行、郡奉行を務めたほか藩士に兵学を教授し政務を補佐しました。
>明治以降は中央政府の招きを固辞し藩に留まり、晩年は長野に塾を開き教育につとめました。
山寺常山邸には江戸時代末期から明治初期に建てられたと推定される表門と、大正時代末期から昭和初期に建てられたと推定される書院(対竹廬[たいちくろ])が残されています。表門は長屋門形式で、全幅約22mと松代城下に残る門のなかでは最大です。書院も近代和風建築の秀作であり、背後の山(象山)との調和もよく、時代差を感じさせない優れた意匠性が見られます。なお、現在の園池は大正時代に造られたものを再整備したものです。
ということで、山寺常山、という方がいらしたそうな。速攻で忘れそうだけんども。
ところで、なんとはない用水に、立派な鯉がいる。さすがに野生ではなさそう。