288、表現の自由 パリ雑誌社襲撃事件から no.4

By | 2015年1月25日
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いきなり引用。

こういう青年がおりました。
「ぼくが育った西洋では言論の自由は不可侵の権利で、
刑法に引っ掛からないかぎり、なにを言ってもなにをやっても許される。
だが、ぼくは世界を旅してみて、世界には言論の自由のない国が多くあり、
言いたいことを言えないひとびとがおおくいることを知った。
彼らを見て、ぼくはじぶんがどれほど恵まれているかと知ったんだ。
これだけ恵まれているのに、その言論の自由を盾にして、
言論の自由に恵まれていないひとびとをいじめたりからかったりして、
苦しめたりすることはしないほうがいいと思うんだよ。
彼らはぼくになにも嫌なことをしていないのに、
ぼくが彼らにいやなことをする必要はないと思うんだ・・・」と彼は言っていた。

引用終わり。

たまたま、私もそれなりの国を旅行してきて、
少なくとも、その国によって、いろんなことが大きく違う一方で、
その国に住んでいる一人一人が、そんなに違うとは思わないところもある。

こういう文化による衝突とか、それこそ戦争とかって、
あくまでも、ホントにほんの一握りの人が原因とは言わないまでも、
きっかけになっていると感じる。

そんな雑誌でそんな記事を書くことが、
自分の価値だと感じたのか、ただ単に生活のために仕事としてやっていたのかは知らないけれど、
その人のすぐ側に、それを哀しむ人がいるかいないかで、
仮にいなかったとしても、そういう人がいることを想像できるかどうかだと思うわけです。
そして、その想像力の源泉は、そんな国に行くことや、
そんな人と触れ合うこと。
それが出来なかったとしても、一冊でも本を読むことや、
書を捨てて町に出ることでもあると思う。

大事なことは、はっきり違うと信じたいのは、
こうしてマスコミからだらだら流れてくることは一つの情報かもしれないものの経験ではない、ってこと。

引用の引用でこのテーマ終わり。

スコット・フィッツジェラルドの『偉大なるギャツビー』の冒頭につぎのような一節があります。

ぼくがまだ年若く、いまよりもっと傷つきやすい心を持っていたころに、
父が言ってくれたことがある。ぼくはその言葉をいまでも心の中でくり返すことがある。
「ひとを批判したいような気持ちになった時にはだな」と、父は言った
「世の中のひとがみんなおまえと同じように恵まれているわけではないということを、
ちょっと思い出してみることだ」

覚えておいていい一節だな、とわたくしは思う。

引用終わり。

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