ランチ後、凧あげが出来る場所を求め、横網町公園(よこあみちょうこうえん)、
>横網町公園(よこあみちょうこうえん)は、東京都墨田区横網にある東京都立の公園である。当公園は元々陸軍被服本廠があった場所で、1922年に王子区(現在の北区)赤羽台に移転した後、東京市(当時)が買収して公園として整備したものである。工事は1923年7月に開始されたが、その最中の同年9月1日に関東大震災が発生した。炎に追われた人々は造成中だった当公園を絶好の避難場所とみなして集まってきた。被服廠跡地に集った避難民は約4万人に達したという。だが16時頃、敷地は火災に取り巻かれ、熱風が人々を襲った。避難の際に持ち出した家財道具に火が移り、さらには巨大な火災旋風が発生し、人はおろか荷物や馬車までもを巻き上げ、炎の中に飲み込んでいった。結果、横網町公園に避難した人だけで3万8,000人が犠牲になったという。
1945年、東京は第二次世界大戦によって再び焦土と化し、特に3月10日の東京大空襲による犠牲者の遺体は、当公園をはじめ多くの公園に仮埋葬されていた。その後、第二次世界大戦によって生じた身元不明の遺骨などを、当公園にある納骨堂を拡張した「震災記念堂」に合祀されることになった。
引用終わり、
そんなわけで、単なる公園でなく、なかなかヘビィな歴史があります。
そしてそんなに広くなく、そこそこ樹木もあるので凧あげには不向き。
それとネタになりがちな、両国国技館のすぐ近くなので、
横綱町と読まれがちだけど、横網。