京都に行ったからではないけれど、
最近歴史について考えていることが今までよりは多くなっている気がする。
たまたま、今日の日経の夕刊に「本能寺の変「四国説」真実味」という記事がありまして。
結論的に、複合的な要因ってのはかわらないものの、
信長に足蹴にされたことを恨んだ「怨恨説」、天下を狙った「野望説」、
足利義昭やら、朝廷やら、イエズス会やらいろいろ説があるなか、
「四国説」の有力資料がみつかったんだと。
そのこと自体はおいといて、というか、そのこと自体がまさにそうなんだけど、
歴史の解釈というかもっと細かいことも含めて、私が物心ついてから、結構変わっている気がしている。
あざいながまさは、昔はあさいじゃなかった?
ささなりまさも、さっさなりまさだった気がするし。
かこうとんも、一時期かこうじゅんだった時期なかった?
それでいくと、石川五右衛門は、
五衛門になって、五ヱ門になった気がする。
話し飛びました。
本能寺にしろ、竜馬暗殺にしろ、邪馬台国がどこにあったか、
みたいなかなりでっかいテーマはともかく、
長篠でなんで武田の騎馬隊は突っ込んだのか、とか、
義経がジンギスカンとか、謙信が女性だったとか。
結構なんでもありで、永遠にわからないものは永遠にわからないで構わなくて、
何が言いたいかというと、歴史は変わるんだとただそれだけ。
そういうことを、昔の固定観念とかに縛られている人間、
下からの言葉に耳を傾けられない人間に言いたい。
歴史というかか過去を踏まえるのは構わないんだが、
その過去の事実がどう解釈されるのかがそもそも変わるんだ、
ということは覚えておけ、と。