毎週末、どっかに観光に出かけたり、
結婚式の準備もあるので、予定はすべて相方にまかせている。
基本的に問題はないので、完全に二人で過ごしていて、
それはどうなんだ?と思っているのはおいといて、
今週末の予定を聞いたところ、日曜は珍しく別行動とのことで、
おや?と思ったが、何のことはない、すでに聞いていた話であるが、
相方は今年後厄らしく、厄払いに行きたいらしいんだけど、
そんなに付き合うのは嫌だ、という私の意見が通ったらしい。
以下、様々な宗教や、厄年というものに重きを置く人をディスつもりは
一切ないけれど、厄年について見解を書く。
以下、WIKI
厄年(やくどし)は、日本などで厄災が多く降りかかるとされる年齢のことである。平安時代にはすでに存在し、科学的な根拠が不確かで起源も曖昧だが、根強く信じられている風習である。
陰陽道に起源があると考えられているが出典は定かではない。何歳が厄年であるか、またその年齢が厄年とされる理由はさまざまである。
引用終わり。
こないだ、癌に効くと言い張る寺について、どうやねん、的なことを書いたのと、
基本的には同じのりで、
癌については、弱っている人間に対して、うちにお金払いな、という商法。
っで、厄年は、浅く広く、そのことについて、インプリンテッドされている人に対して、
不幸になるから、金払っとけ、という商法、ということよね。
まったくの根拠なく。
というか、根拠としては、そういうことが肉体的に起こる時期よね、
という話であって、この年になったら、
健康診断は、AからBにかわりますとか、
人間ドックの補助増やします、ってのと一緒で、
そりゃ、人間がたが来るよね、
という当たり前の時期を単に厄年と定義づけ、
そこを弱みにたかる集団たちが、それについての
インプリンティング作業を、懸命に続けている、ということだ。
一生のうちに、9回にわたって金をむさぼり取ろうとするわけ。
前厄後厄って、なんだよ、前後賞?
もちろん、厄払いをしたことにより、その人が気に病むことが減るのなら、
それは科学的にも意味があることだとは思うけど、
今年はやばいですよ、と風潮しまくるのは、
いかがなもんかと思うわけ。
クリスチャンも、ムスリムも、厄年なんか絶対気にしてないからね。
っで、私はもちろん、一切興味がないので厄払いをしたことがないのだが、
そういうことを親に行ったら、一回目の厄年の時は、
親がかわりにやっておいた、という報告を受け、
どんだけやねん、と思った記憶がある。
さて、相方に聞いたところ、厄年は一切信じていないが、
何が行われるのか、興味本位でみてみたいので、
立ち合いは可能?と聞いたら無理、と言われた。
立ち会って、今の私の考えをその厄払いをしてくれた人に
伝えてみようかと思ったが機会は失われた。
っで、そこでは何が行われるのか、さらに聞いたところ、
神主さんが、お祓い的なことをして、巫女さんが舞ったりするんだと。
であるんなら、演劇?ととらえればいいのかしら?
そのセレモニーが観るに耐えうるエンターテインメント性的に価値あるものなら、
お金を払うのはやぶさかではない、ということかな。
ってかさ、その神主とか、巫女とかって、どんだけそれについて
練習とかしてんのかね?どんだけの思いでその行為を行ってるのかね?
胸倉掴んで聞いてみたいわ。
その舞いの練習、どんだけしたの?
大学の演劇研究会でも、新人が舞台に出るまで、
2か月週六日の稽古をしてっけど大丈夫?それくらいのことはしてる?
お金払ってきてくれた人に、面白いと思ってもらおうと、
単位やら、もっと楽な誘惑を無視して、本気でやってんだけど、
祓ってるあなたよ、舞ってる君よ、
ホントにそれで、この金を払ってる人の不幸が、
ほんの少しでも減ると思ってやってるの?
減って欲しいと思ってやってるの?
ところで勝手に、厄払いって神社だけかと思ったら、
○○大師は神社、○○不動尊はお寺なので、
神社も寺も、タッグを組んでの企画かよ。
これは、なかなか日本に根強く残り続けるんだろうなぁ。
さて、皆さん、厄払いしてますか?
単純に厄払いの市場規模の推移とか知りたくなり、
或いは、少なからず減少傾向ではあると想像するが、
それにかわる市場を作ってみることが可能なんじゃないかとも思う。