Author Archives: なおみ

2161、四国散策 no.92 潮流体験、たしかに複雑そうな潮流

結局、そこそこ待ちまして、いよいよ、潮流体験

振り返れば、一週間に渡る四国散策もこれが最後のイベントでありました。

物産館兼魚食レストラン「水軍レストラン」というのがありまして、

13時出発、1,200円を払い待機、

40人乗りなんだけど、この日は8人くらい?

>潮流体験・能島水軍は村上海賊の里・瀬戸内しまなみ海道

>まるで渓谷の急流のように激しく流れる潮流。

>舞台は瀬戸内海、芸予諸島。古来よりこの海域は、瀬戸内海を往来する船にとって“最大の難所”といえます。

>なかでも、能島の周囲は最大10ノット(時速約18km)にもなる潮流が渦巻き、時には船を呑み込んでしまうほどです。

>複雑で激しい音としぶきをあげる潮流をかき分け船が進みます。

>目の前には天然の要塞・能島(国指定史跡)。

>動乱の戦国時代、瀬戸内海を制圧した村上水軍のふるさとを間近にみられることから、歴史ファンはもちろん、子供から大人まで海の醍醐味を堪能できます。

>村上水軍博物館前を出発し、能島城跡→船折瀬戸→見近島→伯方・大島大橋をめぐる迫力あるクルージング。

>村上水軍の歴史ロマンに浸りながら、それを育んだ自然のすばらしさを肌で体感できます。

引用終わり、

そんなわけで、写真じゃ伝わらんわけだけど、

たしかに潮流が複雑でありますし、島の結構近くまで寄るので、

臨場感もあり、当たり前だけど、景色も素晴らしく、結構なもんでした。

2160、四国散策 no.91 じゃこカツサンド

潮流体験の時間まで少しあったので、村上海賊ミュージアムのカフェテリアで間食、
じゃこカツサンド、500円、

じゃこかつ自体、何処かにもありそうであるが意外となく、
愛媛の島原かまぼこという会社のものらしい。

>伝統的なじゃこ天にゴボウ、玉ネギ、人参を加えてカツにした人気商品!!
お子様にも喜ばれる美味しさです。
パンやフォカッチャに千切りキャベツと挟んでじゃこカツサンド、
ソースをかけてビールのお供にもおすすめです。

引用終わり、
あるいはバーガーにしたりもする模様。
一応、名物だったと、まあ、見た目通りの味です。

2159、四国散策 no.90 村上海賊ミュージアム、安い上によい

続いて、村上海賊ミュージアム、耕三寺は広島県尾道市だったのだけど、

こちらは愛媛県今治市、この後乗る船の都合で、行ったり来たりした模様、

310円なのだけど、ここは見応えが結構あって面白かった、

昨日行った因島水軍城にも資料展示はそこそこあったのだけど、

こっちの方が新しいし、よく出来てもいて、お勧め。

2157、四国散策 no.88 耕三寺、1,400円って

それまで存在を知らないし、世の中にはこういうとこもあるんだなぁと思った、耕三寺(こうさんじ)、

>耕三寺(こうさんじ)は、広島県尾道市(生口島)に所在する浄土真宗本願寺派の仏教寺院。

>山号は潮声山(潮聲山)。

>1936年(昭和11年)から伽藍の建立が始められた新しい寺院で、日本各地の古建築を模して建てられた堂塔が建ち並び、「西の日光」「母の寺」とも呼ばれる。

>このうち、山門・本堂をはじめ15の建造物が国の登録有形文化財として登録されている。

>また、仏像、書画、茶道具などの美術品・文化財を多数所蔵し、寺全体が1953年3月14日より博物館法による登録博物館となっている。

>無檀家寺院でもある。

>沿革

>耕三寺の開山は、大正・昭和期に大阪で活躍した実業家の金本耕三のちの耕三寺耕三。

>1927年(昭和2年)故郷瀬戸田に住む母のために邸宅「潮聲閣」を建て始めた(耕三寺内に現存)。

>母が1934年(昭和9年)に没すると、翌1935年(昭和10年)、金本は母の菩提を弔うため出家して僧侶となり名を福松から「耕三」に改め、同年から母への感謝の意を込めて、潮聲閣周辺にて耕三寺の建立を開始した。

>金本はかねてより、瀬戸田の地に誇りうる文化財のないことを残念に思っており、境内を日本各地の著名な歴史的建造物を模した堂宇で埋める構想を立てた。

>以来、30余年をかけて、日光東照宮陽明門を模した孝養門、平等院鳳凰堂を模した本堂などをはじめとした伽藍が完成した。

>なお金本は1956年(昭和31年)以降、自らを「耕三寺耕三」と名乗るようになった。

>陽明門を模した孝養門から「西の日光」と呼ばれるようになり、瀬戸内海の観光地の一つとなった。

>平成期に入ってからは、建築物の特殊性が評価され、15棟が登録有形文化財として登録された。

引用終わり、
ということで、

何も知らんで観ているうちは、あまりにも豪華なのが、

なんか悪趣味というかこれはテーマパークなのかくらいに思ってみてまして、

寺なんてものはある程度古くないと

ありがたみも何もねぇ

ということで、

正直知らなかった実業家が、

母親を弔うためにどんだけ金かけてんだと、

少なくともうちの親がそういうことをし始めたら

全力で止めるようなことをとんでもない規模しているなと、

ただ、落ち着いて考えると、

例えば、京都三十三間堂の近くにある養源院というお寺は、

>文禄3年(1594年)に豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政、祖父浅井久政らの二十一回忌の供養のために秀吉に願って創建した。

>浅井氏の菩提寺。

引用終わり、
つまり、親のためやら誰かのためにとんでもないお金をかけて寺を作っちゃうことはままあって、

この寺もそれなりの月日が流れたら、

他の寺と同じようになるのかなぁ、

などと思いつつも、

しっかし広いなぁ、どんだけ金かけてんだよと、しつこく思うのでした。

ところで1,400円するんだよね、高いから。

2155、四国散策 no.86 旅館つつ井、展望レモン風呂

この日の宿は因島にある「旅館つつ井」、展望レモン風呂というのが売りでして、

どんだけ大量に入っているのかと思ったらこの程度、5個分くらい?

こちらは刺身があるので私の分、

こちらは相方用で生モノじゃないんだろうけど、なんだろう・・・

天ぷらと煮物がつきましたと、

今までどんだけの数の宿に泊まってきたか知らんが、
人生ゲームがあったのははじめてなんじゃないだろうか。
お腹の中の子も加え、3人プレイであーでもないこーでもないとやったのでした。

2154、四国散策 no.85 白滝山・五百羅漢、すごいところがあるもんだ

少し車を走らせ登り路、駐車場に車を止め、すでによい景色、

白滝山・五百羅漢を目指す、

>標高226メートルの白滝山は、もともと修験者の修行の場でした。

>永禄12年(1569年)因島村上水軍6代当主、村上新蔵人吉充が布刈瀬戸の見張りどころとして観音堂を建立したと伝えられています。

>江戸時代後期、重井の豪商 柏原伝六(1780~1828年)が、神道、儒教、仏教に加え、

>当時禁制の基督教の四大宗教の共通理念を基礎に『一観教』を開き、白滝山上に清浄世界をあらわそうと、

>石像群の五百羅漢を弟子 柏原林蔵や尾道の石工たちとともに刻みました。

>文政10年(1827年)発願し、3年後の文政13年(1830年)完成しました。

>しかし伝六は、その途中、一揆を怖れる広島藩により文政11年(1828年)毒殺されました。

>いま、仁王門から山頂まで大小約700体の石像仏群がところ狭しと並んでいます。

>山頂の展望台からは360度、瀬戸内の大パノラマを楽しめます。

>その眺めのすばらしさに、歌人 吉井勇は

>“白滝の山に登れば眼路広し

>島あれば海 海あれば島”

>と詠んでいます。

>「恋し岩」伝説 パワースポット

>本堂裏に建立されている「恋し岩」には悲しい伝説があります。

>その昔、結婚の約束をした男女がおりました。

>あるとき男が、「立派な相撲取りになるために上京する。3年経ったら戻って来る。」と言って上京しましたが、約束の3年を過ぎても戻ってきませんでした。

>女は忘れられたと悲しみ、海に身を投げてしまったのです。

>それを知った男が悲嘆にくれているとき、身投げした女の化身が岩となって現れていることを知りました。

>男は海からその岩を背負って白滝山山頂の観音堂まで運び、一生をかけて供養したということです。

>この岩は後に、「恋し岩」と呼ばれるようになり、触れると恋がかなうという伝説が生まれました。

>「恋愛パワースポット」として村上海賊の時代とは違いますが、不思議なパワーをもらってみてはいかがでしょうか。

引用終わり、

たしかにそこそこハードではあるけれど、ホントに素晴らしい景色でありました。

2153、四国散策 no.84 因島水軍城、なんて城はありませんでした

しまなみ海道途中下車?因島水軍城、

NHKの大河や朝ドラで観光誘致をはかるのはよくあることだろうが、

ここは和田竜の村上海賊の娘やね、

>村上水軍とは因島村上・能島村上・来島村上の「三島村上氏」の連合集団。

>この三島村上氏は室町時代から戦国時代にかけて瀬戸内海の強大な制海権を握っていた。

>因島水軍城本丸は水軍資料館になり、海外との交易でその富を築いた村上水軍関係の資料が展示されている。

>この位置には過去に天守が存在していたことはなく、いわゆる城郭風建築物になる。

ということで、天守自体はぱっとしないっちゃぱっとしないけど、

資料はそこそこありまして、面白いのと、
やっぱり雰囲気やね。

2152、親になる no.156 はじめてのキュウリ

はじめてのキュウリであります、何がはじめてか、
食べたのがはじめてなのではなく、キュウリと言ったのです。
のんびりゆっくり言葉を覚えていっておりますが、
キュウリをつかみ、キュウリと言ったのです。
なんだろう、基本的に新しい言葉をはじめて聴くときは、
こっちはキュウリと言うと思っていないから、
不意をつかれるというか、幸いキュウリの場合は、夫婦ともに近くにいて一緒に聞いたので、
二人で一瞬、?ってなって、思わず顔を見合わせ、今言ったよね、
みたいなアイコンタクトを自然とする。
つまり逆にそれっぽく聞こえないこともないような言葉の場合は、
そういう瞬間がないので、それがあったときは、
明らかに言ったということが、結構はっきりとわかるんだな、
ということで、わざわざはじめてのキュウリを話題としました。

ところで相変わらずママもパパも言わないし、
キュウリも好きなようだけど、そこまで食べることもなく、
よっぽどトマトの方が好きだと思うんだが、
トマトよりもキュウリが先なのかと。