水の都郡上八幡、たくさんある水路では、
鯉がたくさんいまして、
数も、
大きさもすごい。
ランチ、そばの平甚 本店 (そばのひらじん) 3.44、個人3.3
飛騨牛自然薯ランチ1,980円(ざるそば・飛騨牛丼・郡上産自然薯)◆大盛「2,200円」
驚きの粘り!当店自慢の「郡上産自然薯」
飛騨牛丼にかける。蕎麦つゆに入れる。楽しさ2倍!
お米は郡上産コシヒカリを使用しております。
自然薯そば (温/冷)1,760円◆大盛「1,980円」
郡上の季節野菜の一つ 自然薯(じねんじょ)。
独特な粘りが特徴の自然薯。当店では郡上産自然薯を使用しております。
自慢の蕎麦つゆに絡めてお召し上がりください。
引用終わり、
どうしても期待値があがるわけだけど、そこまで美味しいわけではなく、高いなぁという感想だったと思われる評価。
続いて、郡上八幡博覧館
>山深い郡上八幡の歴史は鎌倉・室町時代にまでさかのぼります。
江戸時代に入ると城下町整備に力を注ぎ、清流吉田川と水路がまちの中心となり
水のまちがかたちづくられました。今でも散策すれば当時の人々の想いや文化を身体で感じ取ることができます。
郡上八幡博覧館から旅をはじめてください。この郡上八幡をもっと好きになっていただけるはずです。
大正9年に建てられた旧税務署を、当時の外観はそのままに利用した、現代とレト口が融合したミュージアムです。
博覧館の名称は「博物館」と「博覧会」との合成語です。
郡上八幡の魅力を水歴史技郡上おどりのコーナー に分けて、分かり易く展示・ご紹介しております。
ココを散策のスタート地点としてご見学いただけば、郡上八 幡の城下町散策が数倍楽しくなること請け合いです。
>日本三大民踊のーつに数えられる郡上おどりは、日本一長い盆踊り孟蘭盆会の徹夜おどり等の特徴で有名です。
「郡上八幡出て行くときは雨も降らぬに 袖絞る…」の一節で知られる「かわさき」をはじめ、十曲十種のおどり全てが国重要無形民俗文化財の指定を受けております。
こちらのコーナーでは郡上おどりの由来・歴史から、イラストパネルや映像による郡上おどり十種の踊り方紹介等をわかりやすく展示・解説しております。
また、土日祝を中心に開催している、ゆかた姿のスタッフによる郡上おどり実演も人気です。
引用終わり、
まあ、土日ではないので、おどりの実現は拝めませんでしたが、子供向けのちょっとした遊びを子供たちは楽しんでいたとさ。
2021/08/04(水)、郡上八幡城(ぐじょうはちまんじょう)、
>郡上八幡城(ぐじょうはちまんじょう)は、岐阜県郡上市八幡町柳町にある城。城跡は岐阜県指定史跡。復元天守は郡上市指定有形文化財。また続日本100名城第141番に選ばれている。
>戦国時代末期、郡上一円は篠脇城を居城とする東氏(とうし)によって支配されていた。その後、東氏は郡上八幡の町を流れる吉田川の対岸にある赤谷山に赤谷山城を構えたが、永禄2年(1559年)牛首山(後の八幡山)の上に砦を築いた遠藤盛数により滅ぼされた。その時、赤谷山城を攻撃した時に砦を築いたのが郡上八幡城の起源である。
>その後盛数の長男慶隆が城主となったが、本能寺の変後羽柴秀吉と対立する織田信孝の傘下に属していたため追放された。慶隆追放後、天正16年(1588年)に稲葉貞通が城主となり、郡上八幡城の大改修を行った。その内容は八幡山の麓に新たに濠を掘り、本丸に天守台を設け、塁を高くして、塀を巡らし、武庫と糧庫を増築し、鍛冶屋洞に面して大きな井戸を掘り、二の丸を増築して居館とした。この時、現在見られる近世城郭としての郡上八幡城の基礎が築かれた。
>その後、関ヶ原の戦いの功によって再び慶隆が城主となり、城の改修を行った。『慶隆御一世聞書』によると、郡上八幡城は慶長6年(1601年)春から慶長8年(1603年)秋まで普請を行い「惣石垣三塀二重之矢倉松ノ丸桜ノ丸等出来」とある。5代藩主常久まで遠藤氏が城主となり、以後井上氏2代、金森氏2代、青山氏7代と城主が変遷。廃藩置県まで郡上藩の藩庁であった。青山幸宜が藩主の際に明治維新を迎え、廃藩置県によって廃城となる。廃城の翌年の明治3年(1870年)に、石垣だけを残し、取り壊された。
>現在の天守は、大垣城を参考に1933年(昭和8年)に木造4層の模擬天守として建設され、隅櫓2基と築地塀も整備された(模擬天守としては全国的にも珍しい木造で、本天守は現存する木造再建城としては日本最古となる)。
>なお、明治期に三の丸跡地に安養寺が移転した。1919年(大正8年)の郡上大火で安養寺は焼失したが大火前の位置に再建された。城山中腹にあった岸劔神社は焼失を免れ、その後、城山公園の整備により1942年(昭和17年)に北側に移転した。
>1955年(昭和30年)8月30日に石垣などの城跡が岐阜県指定史跡に、1987年(昭和62年)9月10日に模擬天守が郡上市有形文化財に指定され、内部は歴史資料館などとして利用されている。
>山城であり、市街地を流れる吉田川のほとりに聳える。城自体は小規模だが、城下から眺める城のたたずまいや、城から見下ろす城下町の風景は大変美しい。作家司馬遼太郎は『街道をゆく』で「日本で最も美しい山城であり・・・」と称えている。城の入り口までは徒歩でも自動車でも行くことができ、山麓には山内一豊と妻千代の像がある。
>日本100名城の選定対象となるものの、検討の結果、選定されなかった。2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(141番)に選定された。
>再建90周年を機に天守の耐震補強工事と展示内容の一新が行われ、2023年(令和5年)4月29日にリニューアルオープンした。
>なお、現在は郡上八幡産業振興公社が管理しており、郡上青山家の家系の幸紀が公社職員として天守閣等の管理に従事している。
引用終わり、
ということで、>本天守は現存する木造再建城としては日本最古となる
だそうで、さすがに行く価値ありの城。
この日は宿が変わり、郡上八幡へ、チェックイン後、車で夕食、吉田屋 美濃錦 (よしだや みのきん) 3.58、個人2.8
季節の前菜1,200円、
鮎姿盛り1,000円、鯉あらい800円、
郡上鮎塩焼き1,500円、
肝焼き700円、
うなぎ長焼定食3,200円?
塩焼きはともかく、生川魚をあえて食べたいと思わないのが相方と私なんだが、
ここで食べないと二度と食べないだろうと川生魚、
たしか、まあこれはこれで美味しいくらいの感覚だったと思うんだが、
それはさておき、ウナギの味付けが濃くてげんなりとしてかなりの減点になったのだと思う。
車でなく濃い日本酒と合わせればまだましだったのかもしれんけど。
うなぎがもったいなかった。
続いて、関ヶ原鍾乳洞 (せきがはらしょうにゅうどう)
>関ヶ原鍾乳洞 (せきがはらしょうにゅうどう)は、岐阜県不破郡関ケ原町にある鍾乳洞。岩倉山鍾乳洞として、関ケ原町の天然記念物に指定されている。玉倉部の清水の上流に位置する。玉倉部の清水は日本武尊が伊吹山の荒神の氷雨の毒気にあたり、朦朧として下山した後に水を飲み、体力を回復したと伝えられる清水とされ、古事記では居醒の清水、日本書紀では居醒の泉として記述されている。1968年(昭和43年)に岩倉山鍾乳洞として関ケ原町の天然記念物に指定された後、観光鍾乳洞の関ヶ原鍾乳洞として整備された。全長は518m。段差は殆ど無い(舗装されている)。洞内の平均気温は約15℃。鍾乳洞内からはウミユリなどの化石が発見されている。鍾乳洞内の湧き水にはニジマスが放流されている。この湧き水は枯れてしまった玉倉部の清水に導水路を通じて流れ込んでいる。
入場料一般:700円小学生:300円幼児(3歳以上):200円
引用終わり、
なんかわざわざ行かなくてよかった強めのしょぼさだった気がする。
2021/08/03(火)、朝食はどうしたんだか、
朝の長良川と岐阜城、
この日は、岐阜関ケ原古戦場記念館(ぎふせきがはらこせんじょうきねんかん)へ、
>岐阜県不破郡関ケ原町にある関ヶ原の戦いに関する記念館(体験施設)。岐阜県の直営施設である。
>岐阜関ケ原古戦場記念館に展示してある関ヶ原合戦図屏風、武具、出土品、書簡などは、元々は関ケ原町歴史民俗資料館(岐阜関ケ原古戦場記念館の開館に合わせ関ケ原町歴史民俗学習館に改称)に展示されていたものを移したものである。岐阜関ケ原古戦場記念館と関ケ原町歴史民俗学習館は隣接し、渡り廊下で結ばれている。関ケ原の戦いでの徳川家康最後の陣地の跡地にある。
開館は当初2020年(令和2年)7月17日の予定であったが、新型コロナウイルスの感染拡大のため開館を延期、同年10月21日(関ヶ原の戦いが行われた慶長5年9月15日は西暦の1600年10月21日に該当する)に開館し、翌10月22日より一般公開された。
新しいので、よくできていて、
>個人、一般:500円 高校生・大学生:300円 中学生以下:無料
お値段の割には見どころも多くよろしい。