散策最後のランチ、手打蕎麦 たなぼた庵 (【旧店名】たなぼ) 3.48、個人3.6
天もり1250円、
かけそば700円、
地元の人に愛される素朴な蕎麦屋、おいしゅうございました。
2021/05/03(月)、荒砥城(あらとじょう)へ
>荒砥城(あらとじょう)は、信濃国更級郡新砥(現・長野県千曲市上山田)にあった日本の城。山城。別名、新砥城。
>山田氏が居城としていたことから「山田城」とする説もある。山城として復元されたのは全国2例目。千曲市指定史跡となっている。
>この地の豪族で村上氏の一族の山田氏の居城であった。村上氏の本城、葛尾城の支城としての役割を果たしていた。
>天文22年(1553年)には武田信玄配下の真田幸綱の調略で屋代氏が寝返ったことにより村上義清が守備した葛尾城が落城したため、武田氏に従った屋代政国にそれまでの屋代城の替え地として、荒砥城を与えられ屋代城から移った。
>天正10年(1582年)、武田氏が滅亡した後、屋代秀正は上杉氏に従い海津城の副将として遇された。
>しかし主将の山浦景国(村上義清の息子)とはしっくり行かなかったようである。
>村上氏一族の中で最初に武田方に寝返った屋代氏は信頼されず、上杉景勝は稲荷山城を築いて監視していた。
>天正12年(1584年)4月1日、秀正は徳川氏に通じたため上杉景勝に攻められ、荒砥城に火を放ち、徳川の下へ出奔して旗本となる。
>荒砥城は以降、廃城となった。
>しかし屋代氏出奔後の領地の一部は景勝の人質となっていた真田信繁(幸村)の領地として与えられたとされている。
残念ながらほとんど再現。
だけんどもまあ雰囲気は。
松代城址がありまして、その中に、真田宝物館、真田邸、松代藩文武学校、象山記念館、旧横田家住宅があり、五館共通券1700円、
おそらくここが、真田邸、
>松代城跡唯一 当時のまま残った建築物
>江戸時代末期に松代藩九代藩主真田幸教が当初、義母お貞の方(貞松院)の住居として建てたもの。
>昭和41(1966)年に真田家伝来の宝物とともに長野市に譲渡されました。
>全国でも少ない御殿建築の建築物で、松代城跡の建築物として唯一、当時のまま残った貴重な建物です。
おそらく、この写真からが、文武学校(ぶんぶがっこう)
>文武学校(ぶんぶがっこう)は、江戸時代後期に創設された信濃国松代藩の藩校である。明治時代初期に廃止されたが、藩校の建物は昭和期まで学校として使用されていた。日本全国約250藩中の藩校でも、建設当時から建造物や藩校敷地がそのまま残っている。
体験型ゲーム感覚のシミュレーターが複数あるので、ここは純粋に子供楽しめる。
2021/05/02(日)、この日はまず、大王わさび農場、
>大王わさび農場(だいおうわさびのうじょう)は、長野県安曇野市にあるわさび農場。
>大王農場、大王わさび園とも呼ばれる。1917年(大正6年)に開場した。
>株式会社大王が運営している。
>北アルプスからの湧き水を利用した安曇野わさび田湧水群の一角にある、日本最大規模のわさび園であり、年間約120万人が訪れる安曇野随一の観光スポットである。
>雑草の生い茂る原野を20年の歳月をかけ完成させた。
>「大王」は敷地内にある大王神社に由来し、この神社は民話に登場する八面大王の胴体が埋葬されているとされる。
>わさび田に引かれる湧水は一日12万トンで、水温は年間通して12℃。
>収穫は年間通して行われる。
>直射日光に弱い為、4月から9月末まで黒い寒冷紗でわさび田を覆う。
>また、ここは黒澤明監督の映画『夢』のロケ地としても知られる。
>売店での名物はわさびソフトクリーム、わさびコロッケ。
>山葵の栽培品種は、長野23号、真妻、正緑、などがある。
ということで、存在を知らなかったけど、人気スポットらしく、景色も立派でありました。
続いて、旧開智学校(きゅうかいちがっこう)
>旧開智学校(きゅうかいちがっこう)は、1876年(明治9年)に長野県松本市本町一丁目(現在の松本市中央2丁目)に建てられ、その後、現在地である松本市沢村(現在の松本市開智2丁目)に移築された明治時代初期の擬洋風建築の校舎である。
>文明開化時代の小学校建築を代表する建物として広く知られている。
>1963年(昭和37年)3月まで松本市立開智小学校の校舎として使用されていた。
>旧開智学校校舎は、2019年(令和元年)、近代の学校建築としては初めて国宝に指定された。
>「旧開智学校校舎1棟」として国宝に指定。
>併せて建築関係資料(文書56点、図面7枚)が国宝の附(つけたり)として指定されている。
>地元出身で大工棟梁の立石清重が設計施工を担当した擬洋風建築である。
生憎、建築には詳しくないのであるが、たしかに素敵な建物ではありました。
このたびのメイン、松本城、
>松本城(まつもとじょう)は、長野県松本市(旧・信濃国筑摩郡筑摩野松本)にある日本の城である。
>松本城と呼ばれる以前は深志城(ふかしじょう)といった。
>天守は安土桃山時代末期-江戸時代初期に建造された現存天守の一つとして国宝に指定され、城跡は国の史跡に指定されている。
>天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は姫路城、犬山城、彦根城、松江城)。
>1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の結果、徳川家の関東移封が行われ、当時の松本城主小笠原秀政も下総国古河へと移った。
>代わりに石川数正が入城し、石川数正とその子康長が、天守を始め、城郭・城下町の整備を行う。
>石川数正は徳川家を出奔して秀吉の下へ走った経緯があり、天守の築城は関東を領した家康に対する牽制・防衛のためだといわれている。
>典型的な平城。
>本丸、二の丸、三の丸ともほぼ方形に整地されている。
>南西部に天守を置いた本丸を、北部を欠いた凹型の二の丸が囲み、さらにそれを四方から三の丸が囲むという、梯郭式に輪郭式を加えた縄張りである。
>これらは全て水堀により隔てられている。現存12天守の中では唯一の平城である。
>5重6階の天守を中心にし、大天守北面に乾小天守を渡櫓で連結し、東面に辰巳附櫓・月見櫓を複合した複合連結式天守である。
>大天守は、初重に袴形の石落としを付け、窓は突上窓、破風は2重目南北面と3重目東西面に千鳥破風、3重目南北面に向唐破風の出窓を付けている。
>辰巳附櫓・月見櫓は、第3代将軍徳川家光が長野の善光寺に参拝する途中で、松本に立ち寄るという内意を受けたため、当時の藩主松平直政が建てた。
>赤い欄干を配して、風雅な雰囲気を持つ。家光の善光寺参拝は中止になったが、天守に付属する月見櫓としては唯一の遺構となった。
どうしても、姫路・熊本なんかには後塵を拝するものの、
まあ、なんともシンプルな美しさでありまして、個人的には結構好き。
松本城といえば、石川数正であるが、今年の大河では、何故裏切るか、乞うご期待。