1801、岸和田散策 no.3 五風荘と岸城神社

By | 2019年4月13日
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岸和田城を後に、周囲を散策。

ふむ、こっちからの角度もよいね。

近くにある、五風荘、

>岸和田城二の曲輪にあった「新御茶屋」および「薬草園」の跡地に旧寺田財閥当主で岸和田市長を務めた寺田利吉の別邸として昭和4年(1929年)から10年をかけて造成された。
面積は約8000平方メートルで、回遊式庭園内に「山亭」・「八窓席」・「残月席」の3つの茶室が設けられている。表門「南木門」は奈良の東大寺塔頭中性院表門を移したものである。
五風荘は当初、岸和田所縁の武士楠木正成の姓に因んで「南木荘」と呼ばれていたが、寺田利吉の諡号が「五風院」であったことから現在の名称に改められた。
所有者は昭和61年(1986年)に岸和田市土地開発公社、平成4年(1992年)9月に岸和田市へと移り、管理運営は平成20年(2008年)度まで岸和田市の外郭団体である岸和田市観光振興協会が担ってきた。
平成21年(2009年)度からは指定管理者制度を導入し当指定管理者に選定された「がんこフードサービス株式会社」が当施設をレストランとして活用しながら管理運営を行っている。
邸内の歴史的建造物は平成10年(1998年)に国の登録有形文化財に登録されていたが、指定管理者制度導入を機に、平成20年(2008年)、あらためて岸和田市指定有形文化財に指定された(これに伴い国の登録は抹消)。

引用終わり、
だったのだけど、この2019年4月から、がんこから岸和田グランドホールってとこの運営にかわっています。
一度だけ利用したことがあるけれど、さすがに立派な建物である。

続いて、岸城(きしき)神社、

>岸城神社の境内地は当時の岸和田城主、小出秀政によって隣邑に鎮座していた牛頭天王と、岸和田城築造以前に当地で祀られていた 天照大神と八幡神が併せられ成立しました。
その後、天照大神は、天照太神小社として別の境内(後の神明門付近)に祀られ、牛頭天王と八幡神とは同境内に祀られて御宮と呼ばれておりました。

また同境内には宮寺・日光寺が置かれていました。しかし慶応四年に出された神仏判然令に伴い、宮寺・日光寺は廃寺となり、牛頭天王社と八幡社を合祀し、岸城神社と改称されました。
この頃、それまで神明門にあった神明社は岸城神社境内へと移され、現在に至ります。
引用終わり、

これで周囲を一周、そして内堀の石垣も立派よね。

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