さあ、なんで今まで来ていなかったんだと法隆寺、なんと1,500円、攻めてます、奈良なのに。
まずは、南大門、ちなみに、南大門は、南にあります。
>法隆寺の玄関にあたる総門です。三間一戸の八脚門(やつあしもん)で現法隆寺建立時には中門前の石段上に立っていたが、寺域の拡大により現在の場所に移されたと言われます。
創建時のものは、永享7年(1435)に焼失し、永享10年(1438)に現在の門が再建されました。
そして、早速、五重塔、
>日本最古の塔である五重塔は、五重目の軸部が初層の半分の大きさになっており、これに深い軒の出が相まって安定感を与えています。
その軒を雲肘木が優しく支えて、見る人を飽きさせません。心柱の下にある心礎には、仏舎利が納められています。
大講堂、大講堂は、大きい、
>金堂と五重塔の北側に立つ間口九間の大講堂は、元は北側の回廊の外に独立して建っていましたが延長3年(925)に焼失し、正暦元年(990)ほぼ元の規模と同じ大きさの堂々とした姿に再建されました。
さらに回廊を北側に延長してこれに取り付けたので堂の前が広く清々しい空間となっています。
尚、堂内に安置されている薬師三尊像はこの再建時に新たに造像されたものです。(平安時代 国宝)
金堂、こんどうです、きんどうではありません、本堂のこと、
>金堂は西院伽藍最古の建築で、軒の出の深い安定した姿が美しい。
入母屋造り二重の瓦屋根と下層の裳階(もこし)の板葺きの対比、これに奥深い軒下の垂木(たるき)や雲斗・雲肘木が調和して快いリズムを奏でています。(飛鳥時代 国宝)
もっかい、五重塔、近くからと、
逆光、
もっかい、金堂、
三度、五重塔、
セット、
大講堂、と右にあるのは、鐘楼
>この建物は延長3年(925)に大講堂とともに落雷により焼失し、現在の鐘楼は経蔵の様式にならって再建されたものです。
この鐘楼の中に吊るされている梵鐘は、奈良時代前期の銅鐘(重文)で現在では年中行事で撞かれています。(平安時代 国宝)