そんなわけで、ホテル浦島という系列の本館の温泉に入り、姉妹の万清楼、という宿に泊まったのでした、
夕食、やはり、鮪率が高い、
鮑がデフォなのか追加なのか、
焼き物?
揚物、
土瓶蒸しもありました。
さすがに豪勢でありますが、覚えちゃいません。
さて、ホテルにチェックインし、まだ行くところがありまして、海の向かいに見えるあちらの建物の温泉につかり、展望台から臨もうと、
船の中、
本物の亀かと見まごうほどの亀的な船、浦島丸、
下船し、船着き場、
近くでは、ぎゅうぎゅうになって釣りをしている、もっと広くしてあげればいいのに、
目的地のホテル、でっかい系、そう、船に乗らないと来られない、
冷静に考えると、津波とか来たらどうすんだ、という立地、正確に言うと、半島であります、
それで思い出したのはアトス島、全然違うけどさ、
そのものの名前、ホテル浦島、
>ホテル浦島が立っている土地は海底が隆起してできた岬です。
於泥岩層の破砕帯が熊野灘の荒い風波に浸食された間口25メートル・奥行50メートル・高さ15メートルの天然洞窟です。
その洞窟の中に自然に温泉が湧出して熱い湯溜りとなり古くから沐浴に賞用されていたようです。
「熊野詣」の華やかだった平安末期には、熊野三山に参詣した貴族がこの温泉で旅の疲れを癒したと伝えられ南北朝の頃には北朝方の将石堂義慶が軍船を率いて、立籠もったことから、将石洞とも呼ばれていました。
忘帰洞の名は、当初で旅館営業が始められた大正時代、紀州藩の徳川頼倫公が来遊されて『帰るのを忘れさせるほど心地よい』と誉めて名付けられたのものです。
洞窟の中の温泉にひたりながら望む、日の出、洋上の月足下の磯をかむ荒波などまさにその名にふさわしい絶景として当館を訪れる皆様にお褒めを頂いております。
引用終わり、
ということで、結構珍しい、洞窟の中の温泉に入れるのさ、
さて、写真ではわかりようもないけれど、スペースウォーカーという名の、全長154mのエスカレーターで、
狼煙山遊園、というところへ、
>海抜80mからの絶景 展望台から眺める360度の景色
>展望台イメージ
展望台からは、紀の松島が一望できます。また天気の良い日は那智の滝を見ることも!
>狼煙山遊園内の浦島稲荷神社で願掛けを♪おみくじ・お守りも販売しております。
さきほどきたスペースウォーカーで戻り、
ホテルから
船に乗り、
反対岸へ。
先ほど、青岸渡寺から見えていた、那智の滝まで車で移動、
>高さ・水量ともに日本一。麗しき白神に自然への畏敬を思い出します。
>熊野那智大社の別宮、飛瀧神社のご神体として古くから人々の畏敬を集めてきた那智の滝は、「一の滝」とも呼ばれ日本三大名瀑の一つです。
落差133m、銚子口の幅13m、滝壺の深さは10mの落差日本一の名瀑で、熊野の山塊、その奥方より流れ落ちる姿は圧巻で、大晦日にはライトアップも行われます。
>銚子口の岩盤に切れ目があって、三筋に分かれて流れ落ちるところから、「三筋の滝」ともよばれています。
毎年7月9日と12月27日には、古来からの神事にのっとり、神社(飛瀧神社)の御神体としてこの滝を崇め、「御滝注連縄張替行事」が行われます。
かつて、諸国から那智の滝に詣でる人々は、写経を経筒に入れ、お滝入口の大鳥居をくぐり左側にある「那智経塚」に、写経を納めました。
300円払うと滝つぼまで行けまして、まあ、行くわけだけど、
行かなくても充分堪能は出来る。
こちらのご当地ソフト、黒飴ソフトクリーム、300円、など賞味しながら後に。
那智大社のすぐ隣、
隣と言うかくっついている、那智山 青岸渡寺
神社とお寺が並んでいるのです、
>那智山青岸渡寺は、一千日(3年間)の滝篭りをされた花山法皇が、永延2年(988)に御幸され、西国三十三ヶ所第一番札所として定めたとされ、多くの信者や参詣者が全国から訪れています。
>如意輪観世音像は、仁徳天皇の時代(4世紀の頃)、インドから那智に渡来した裸形上人が、那智滝の滝壺で見つけ、本尊として安置した言われています。
>如意輪観世音を祀る本堂は、天正18年(1590)に豊臣秀吉が再建したもので、桃山時代の特徴を色濃く残しており、2004年7月には、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されました。
>本堂後方には、那智の滝との調和が美しい朱色の三重の塔がそびえ立っており、必見のフォトスポットとなっています。
>熊野三山の信仰が都の皇族・貴族に広まったのは平安時代中期以降であり、青岸渡寺および隣接する熊野那智大社についても創建の時期等については判然としない。
>伝承では仁徳天皇の時代(4世紀)、天竺(インド)から渡来した裸形上人による開基とされ、同上人が那智滝の滝壺で得た金製の如意輪観音菩薩を本尊として安置したという。
>後に推古天皇の勅願寺となり、6世紀末 – 7世紀初に生仏聖(しょうぶつひじり)が伽藍を建立し、丈六の本尊を安置して、その胎内に裸形上人感得の如意輪観音菩薩を納め、如意輪堂を建立したという。
>以上はあくまでも伝承であるが、那智滝を中心とする自然信仰の場として早くから開けていたと思われる。
>中世から近世にかけて隣接する熊野那智大社と一体化し、那智山熊野権現や那智権現と呼ばれ、全体で7寺36坊もの坊舎を有する神仏習合の修験道場であった。
>如意輪堂と称されたその堂舎は那智執行に代表される社家や那智一山の造営・修造を担う本願などの拠点であった。
>花山法皇が三年間参篭し、当寺を第一番として西国三十三所観音を巡礼した。
>堂舎は織田信長の兵火にかかった後、天正18年(1590年)豊臣秀吉によって再建された。
>明治時代になり神仏習合が廃されると、熊野三山の他の2つ、熊野本宮大社、熊野速玉大社では仏堂は全て廃されたが、熊野那智大社では如意輪堂は有名な西国三十三所の第一番札所であったため、ひとまず破却はせずにしておいた。
>ただ、仏像や仏具は補陀洛山寺などに移され、空堂とされた。
>しかし、1874年(明治7年)に古くからの信者らによって熊野那智大社から天台宗の寺院として独立し、新たに「青岸渡寺」と名付けられて復興した。
>寺号は豊臣秀吉が大政所の菩提を弔うために建てた高野山の青巌寺に由来すると言われる。
そんなわけで、いろいろ訪れた、西国三十三か所の一番目でありまして、ずっと行きたいところでありました。
熊野古道をショートカット、車で熊野那智大社に到着、
>熊野那智大社は、田辺市の熊野本宮大社、新宮市の熊野速玉大社とともに熊野三山の一社です。
>全国約4,000社ある熊野神社の御本社でもあり、日本第一大霊験所根本熊野三所権現として崇敬の厚い社です。
>古来当社はご祭神「熊野夫須美大神」の御神徳により「結宮(むすびのみや)」と称され、人の縁だけでなく諸々の願いを結ぶ宮として崇められました。
>那智御瀧は自然を尊び延命息災を祈る人が多く、また八咫烏の縁起によりお導きの神として交通・海上の安全の守護を祈り、さらに御神木の梛の木は無事息災をあらわすものとして崇められています。
>熊野の自然と共に神々の恵み深い御神徳のある神社であります。
日本一のおみくじ
>樟霊社(しょうれいしゃ)
>樹齢約850年の樟を御神木として祀っています。
幹が空洞化しており、護摩木(300円)を持って通り抜けることが出来ます。
平重盛の御手植えと伝わっています。
生憎、いろいろ改装中ではありましたが、
さすがに、なんとも、
いい感じでありました。
2021/02/20(土)、2021/01/26(火)、に受けた手術後の病理検査の結果を聞いてきた。
読み方はわからんのだが、結節性痒疹、ということで、元々をイボみたいなのが出来ては、液体窒素で焼いて、
というのを10回以上はしてきたのだけど、その結果出来たものらしい。
>大門坂(だいもんざか)は、和歌山県の那智勝浦町にある坂道で、熊野那智大社への参道。熊野古道(熊野参詣道)・中辺路の一部。
熊野古道のかつての面影を、もっとも色濃く残しているところとして知られ、和歌山県道46号那智山勝浦線の那智勝浦町市野々のふもとから那智山に至る1kmほどの石段・石畳の道である。
>かつて坂の入り口に大門があり、通行税を徴収していたことが名称の由来とされる。法定上の路線名は那智勝浦町道大門坂線で、那智勝浦町が管理する。坂道の両側に、まるで門柱のようにそびえる夫婦杉をくぐり、九十九王子最後の一社・多富気王子を横目に、樹齢数百年の深い杉木立の中に石畳の道をたどる。夫婦杉の高さは54.5mあり、胸高幹周は8.5m、枝梁は13mある。
>夫婦杉に続く杉並木は、樹齢200 – 300年余り(夫婦杉の樹齢は約800年)といわれ、石畳の両側に200本ほどが茂っており、県指定天然記念物に指定されている。石畳は苔むしており、杉並木道は昼間も木漏れ日が入る程度で静粛なたたずまいを見せている。途中に南方熊楠が3年間研究のために滞在した「大阪屋旅館跡」や通行料を徴収した関所の「十一文関跡」がある。
>坂を上りきったところは、西国33か所第1番札所那智山青岸渡寺と熊野三山のひとつ熊野那智大社が隣り合わせにあり、日本一の高さ133mの那智滝へも直ぐの位置にある。石段の山に向い右側は那智大社所有地、左側は民有林である。
引用終わり、
ということでありますが、子連れですので、坂道を歩くことは無く、車で先へ。