2227、岸和田天神宮、お汁粉

By | 2020年6月21日
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岸和田観音を後にし、駅の方へ、岸和田天神宮、

>由緒
当社の創建は伝えによると、後村上天皇の正平十七年(1362年)の頃、泉州沼村(現在の沼、筋海、並松)の村長に沼間将監という人があって極めて孝心が厚く、父親が長らく病床に就き百方手をつくし平癒を願ったがその効験がなかった。
そのため、かねてから信仰していた山城の国八坂神社に参り病父の平癒を祈願すること三日、ついに霊感を得て歓喜して帰郷すると父の病は全快し、普段の元気な姿に復していた。沼氏は大いに喜びその御神徳を村の衆に告げ邸内の清域(現在地)に社殿を造営して八坂神社(祭神、速須佐之男命)の御分霊を勧請したのが始まりという。
以後、沼氏代々の鎮守として霊感日毎に増し、村内に水旱病疫等事ある毎に祈願を行い霊験あらたかで、その御神徳が遠近に聞え崇敬する者も多くなった。
その後、明徳年間(1390年)に至り、山名、大内二氏の争乱等により天正年間(1573年)に至るまで再三兵火の厄に遭い、社殿旧記宝物等一切は焼失した。村民はその荒廃を嘆き、文禄三年(1594年)に社殿の復興を図り御神徳が益々高揚した。
天和三年、(1683年)に至って天神宮と称した。表「天神宮」裏面「天和三癸亥年八月祭吉日」と彫られた神号額が現存している。

引用終わり、

写真ではわかりにくいけど、お汁粉がふるまわていた、何故なのかは知らん。

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