Author Archives: なおみ

2683、DINING STAGE 佐海屋旭 (【旧店名】たちばな) 3.48、個人3.8

2019/09/28(土)、なんばシティにある、行列の絶えない、佐海たちばな、3.58、
その先にある、こめじるしという飲食街にある、ダイニングステージ 佐海屋 (さかいや)、3.62、
その二つは結局行かなかったんだけど、徒歩5分くらいのとこにある、DINING STAGE 佐海屋旭 (【旧店名】たちばな)、3.48

本マグロセット、にぎり・大トロ・中トロ・赤身、鉄幹紀、小さい鉄火丼、旬の土瓶蒸し、2,100円、

おかず色々盛合二段重、980円、

本マグロを安く満腹にいただくのは、ここが結局今までで一番かと、今思う。

2681、大阪うなぎ組 3.51、個人3.6

2019/09/23(月・祝)、大阪うなぎ組、3.51、個人3.6

日本酒飲み比べと、骨せんべい、330円、うなぎ 白焼き、ハーフ 2700円
>江戸前の技法で白焼きの後蒸し、そして焼き上げる なにも足さずなにも引かず、

肝わさ、660円と、名物うなぎ串焼き 五種盛り合わせ、2,200円、メニューを見ると、
>肝焼き440円、しろバラ(あばら塩)550円、赤バラ(あばらタレ)550円、くりから(ハラミ)490円、つらみ(かま)440円、ヒレ(ヒレの長芋巻き)380円、短冊(白焼きor蒲焼き)550円、ごぼう巻き630円
と5種以上ありまして、どれがどれやら

鰻ひつまむし(小鉢・吸物・漬物付き)
1膳目はそのままで・・・
2膳目はわさびや有馬山椒などのお薬味とご一緒に
3膳目は付け合わせのお出汁をかけてサラサラとお茶漬けに
1膳で3度味わえる一番人気の御膳
奈美・・・3080円

引用終わり、
非常におしゃれな感じの店でありまして、正直子連れはハードルが高かったけど、点数通りの良店でありました。

2680、親になる no.234、はじめてのカナブン捕獲

2019/08/21(土)、長男にその認識があるのかないのかしらんけど、夏休みも終盤、
大森海岸の品川水族館へ、蕎麦を食べ、大森駅に向かう途中、公園脇ではあるものの普通の歩道にカナブンが落ちているのを私が発見、

長男、恐れることなく、普通に捕獲。
皆も経験があると思うけど、カナブンはカブトやクワガタに比べると、
結構飛んで行きやすいので、しばらくしたら、飛んでいったのでした。

2679、立ち寿司 まぐろ一徹 虎目横丁店 3.31、個人3.4、ロレックスの時計

難波に無事辿り着きまして、喉元過ぎれば飲む、 虎目横丁というフードコートみたいなとこ、立ち寿司 まぐろ一徹 虎目横丁店 3.31、個人3.4、

メニューが見当たらんが、うにだろう、

別に店舗から、天ぷら盛合せ、

水蛸ポン酢?

★まぐろ三昧770円
新鮮なまぐろを贅沢にリーズナブルに楽しめる♪(天身・中トロ・大トロ)

さて、この店では、今でも忘れていない、個人的にはかなり気に入っている話がありまして、
20歳くらいのやっちゃ系のあんちゃんが店員でいまして、左手の人々が時計をするところにタトゥーが入ってまして、
子供が描いたような下手な絵で、腕時計が書いていて、表面にカタカナでロレックス、と書いてあったのでした。
いい時計だね、と声をかけ、いいでしょ、と。

お願いして写真撮らせてもらえばよかったと、思い出すたびに、後悔をするエピソード。

2678、淡路島南パーキングエリア(上り)フードコート 3.22

2019/09/22(日)、ここまで書いてやっと思い出したのだが、
三連休を利用して、1泊2日で香川観光をしようとしていたのだけど、
この日ホテルで朝起きると、首から背中にかけて激痛が起こり、しばらく休んでも、痛み止めを飲んでも引かず、
救急車を呼ぼうかと思っていたのだけど、しばらくし、多少ましになったのだが、
観光し夜帰るのは難しかろうと、後ろを向こうとすると激痛が走るので、
車の運転自体、怖かったのだけど、
そして、なんならこの時は台風が近づいていたりもしていて、やれやれと思いつつ、
結局、早々に帰るとことにし、
昼、淡路島南パーキングエリア(上り)フードコート 3.22

なんかのラーメンとシラス丼?

結局、大阪に戻る頃には、そこまでしんどくはなくなったのだけど、
その後もなんとなく、季節の変わり目や、台風が近づいたりすると、
痛みが起こったりする症状は今も続いていて、
自宅で、軽くリハビリで教わった運動をすると、治るという状況が続いているのでした。
しっかり通って、しっかり運動を続けるべきなんだろうけどさ。

2677、骨付鳥 一鶴 丸亀本店 (いっかく)、3.58、しょっぱいのよね

夜は、骨付鳥 一鶴 丸亀本店 (いっかく)、3.58
二度目だろうか、香川に来ると他に店がないので、行くことになる。
美味しいんだろうけど、とにかくしょっぱいんだ。

おやどり、ひなどり、とりめし、の店ですが、
サイドメニューのおや天、411円、かわ酢、411円の写真、
サイドメニューは冷たいモノばかりなので、飽きるかもしれないけれど、鶏を食べておいた方がよい店。

2676、第74番札所、甲山寺(こうやまじ)

続いて、甲山寺(こうやまじ)

>甲山寺周辺は弘法大師の故郷で、幼少時代によく遊んだといわれる場所。平安初期、壮年期になった弘法大師は善通寺と曼荼羅寺の間に伽藍を建立する霊地を探していました。ある時甲山を歩いていると、麓の岩窟から老人が現れ「私は昔からここに住み、人々に幸福と利益を与え、仏の教えを広めてきた聖者だ。ここに寺を建立すれば私がいつまでも守護しよう。」と言いました。弘法大師は大変喜び、毘沙門天像を刻んで岩窟に安置し、供養しました。

>その後、嵯峨天皇の勅命を受けてこの地にある日本最大の溜池「満濃池」の修築工事を監督する別当に任命された弘法大師。朝廷が派遣した築池使さえも達成できなかった難しい工事です。弘法大師は甲山の岩窟で修復工事の完成を祈願し、薬師如来像を刻んで修法しました。すると大師を慕って数万人の人々が集まり、力を合わせてわずか三ヶ月で完成させたのです。朝廷からこの功績を称えられ、金二万銭を与えられた弘法大師は、その一部を寺の建立にあて、先に祈願をこめて刻んだ薬師如来を本尊とし、安置。山の形が毘沙門天の甲冑の形に似ていることから「甲山寺」と名づけられました。

引用終わり、

覚えてないんだよなぁ。

2675、善通寺、四国八十八ヶ所霊場の75番札所

続いて、善通寺

>善通寺の由来

>五岳山 善通寺の創建は、『多度郡屏風浦善通寺之記』(江戸時代中期成立)によると、唐より帰朝されたお大師さまが、御父の寄進した四町四方の地に、師である恵果和尚の住した長安・青龍寺を模して建立したお寺で、大同2年(807)臘月(陰暦12月)朔日に斧始めを行い、弘仁4年(813)6月15日に落慶し、父の諱「善通(よしみち)」をとって「善通寺」と号したと記されています。

>鎌倉時代に佐伯家の邸宅跡に「誕生院」が建立され、江戸時代までは、善通寺と誕生院のそれぞれに住職をおく別々のお寺でしたが、明治時代に至り善通寺として一つのお寺となりました。現在は真言宗善通寺派の総本山であり、また四国八十八ヶ所霊場の75番札所でもあります。

>京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ弘法大師三大霊跡のひとつ

>現在の善通寺は「屏風浦五岳山誕生院善通寺」と号し、山号の「五岳山」は、寺の西にそびえる香色山・筆山・我拝師山・中山・火上山の五岳に由来し、その山々があたかも屏風のように連なることから、当地はかつて「屏風浦」とも称されました。

>そして、「誕生院」の院号は、お大師さま御誕生の地であることを示しています。

>御誕生所である善通寺は、京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ弘法大師三大霊跡のひとつとして、古くから篤い信仰をあつめてまいりました。

>総面積約45,000平方メートルに及ぶ広大な境内は、「伽藍」と称される東院、「誕生院」と称される西院の東西二院に分かれています。

>金堂、五重塔などが建ち並ぶ「伽藍」は、創建時以来の寺域であり、御影堂を中心とする「誕生院」は、お大師さまが御誕生された佐伯家の邸宅跡にあたり、ともに弘法大師御誕生所としての由縁を今に伝えています。

>お大師さまは、ここ善通寺の地に御誕生されました。

>「お大師さま」としても親しまれる弘法大師空海は、宝亀5年(774年)6月15日、御父・佐伯善通(さえきよしみち、俗名:田公 たぎみ)と御母・玉寄御前(たまよりごぜん)の子として、四国・香川県の西部、善通寺の地に御誕生になりました。

>幼名を「真魚(まお)」と名付けられ、ご両親の寵愛を受けてお育ちになりました。

>幼い真魚さまは非常に聡明で信仰心の篤いお子様だっだと伝えられています。

>そして真魚さまは、この地の豊かな自然のなかで多感な時期をお過ごしになられました。

>一方で、近年の発掘調査により善通寺境内に創建時をさかのぼる前身寺院(佐伯家の氏寺か?)の存在が確認されています。

>おそらく真魚さまは、その寺で仏像や仏典・僧侶に親しまれたのでしょう。延暦10年(791)18歳で都の大学に入学するものの、仏法に目覚め山林修行に身を投じた真魚さまには、この地で蒔かれたほとけの種子が宿っていたのです。

引用終わり、
宝物館が500円だけあり、さすがに立派でありました。

2674、丸亀城 no.3 天守閣、全国に12しか残っていない木造天守

石垣を登り、瀬戸内海をのぞむ、

こっちは山側、

>本丸、山上の最高所が本丸です。本丸には、天守のほかに隅櫓(すみやぐら)・渡櫓(わたりやぐら)・土塀(どべい)が石垣上に巡っていました。礎石、排水路を一部復元しています。

>天守、高さが約15メートルあり、三重三階の造りで、全国に12しか残っていない木造天守の1つです。

>四国に残る木造天守の中で、最も古い万治3(1660)年に完成しました。

>唐破風や千鳥破風を巧みに配置し、北側には石落しや素木の格子を付け、意匠を凝らしています。 

>丸亀市の中心市街地の始まりは、慶長2年(1597年)、生駒親正(いこまちかまさ)・一正(かずまさ)による亀山への築城に始まります。

>このころの城造りは、織田信長の築いた安土城や豊臣秀吉が築いた大坂城を手本に、城郭だけでなく武家屋敷や城下町までも濠や土を盛った土塁(どるい)で囲み防御した「総構(そうがまえ)」となっています。

>生駒氏は慶長6年(1601年)に宇多津より人を移住させています。

>今の御供所町、北平山町、西平山町です。慶長20年(1615年)、大坂夏の陣により豊臣氏が滅び、徳川氏の天下となります。

>徳川幕府は武家諸法度を制定し規制を行います。

>元和元年(1615年)の一国一城令により生駒氏は、高松城を残し、丸亀城を廃城しました。

引用終わり、
天守自体はとても小ぶりであるものの、教科書通りの城、と言った印象。
いずれにしろ、良い城であります。