2674、丸亀城 no.3 天守閣、全国に12しか残っていない木造天守

By | 2021年9月14日
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石垣を登り、瀬戸内海をのぞむ、

こっちは山側、

>本丸、山上の最高所が本丸です。本丸には、天守のほかに隅櫓(すみやぐら)・渡櫓(わたりやぐら)・土塀(どべい)が石垣上に巡っていました。礎石、排水路を一部復元しています。

>天守、高さが約15メートルあり、三重三階の造りで、全国に12しか残っていない木造天守の1つです。

>四国に残る木造天守の中で、最も古い万治3(1660)年に完成しました。

>唐破風や千鳥破風を巧みに配置し、北側には石落しや素木の格子を付け、意匠を凝らしています。 

>丸亀市の中心市街地の始まりは、慶長2年(1597年)、生駒親正(いこまちかまさ)・一正(かずまさ)による亀山への築城に始まります。

>このころの城造りは、織田信長の築いた安土城や豊臣秀吉が築いた大坂城を手本に、城郭だけでなく武家屋敷や城下町までも濠や土を盛った土塁(どるい)で囲み防御した「総構(そうがまえ)」となっています。

>生駒氏は慶長6年(1601年)に宇多津より人を移住させています。

>今の御供所町、北平山町、西平山町です。慶長20年(1615年)、大坂夏の陣により豊臣氏が滅び、徳川氏の天下となります。

>徳川幕府は武家諸法度を制定し規制を行います。

>元和元年(1615年)の一国一城令により生駒氏は、高松城を残し、丸亀城を廃城しました。

引用終わり、
天守自体はとても小ぶりであるものの、教科書通りの城、と言った印象。
いずれにしろ、良い城であります。

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