1764、貝塚散策 no.1 水間寺、立派なお寺です

By | 2019年3月6日
Pocket

2017/07/16(日)、岸和田市の和歌山川に隣の市、貝塚市、祭りがあるというのでついでに散策。
南海本線貝塚駅から水間鉄道というローカル列車に乗り、終点、水間観音駅、徒歩10分、水間観音到着、
入口の、聖観音像、

三重塔、

本堂、

鐘楼、

再度本堂、

>水間寺の創建は、人皇四十五代聖武天皇が四十二才のとき、ご病気にかかられ、なかなかご平癒になられなかったその時、夢のお告げがありました。
「この奈良の都より西南の方角にあたって観世音菩薩がご出現なされる。よってこの観世音の尊像を都にお供をしてご信仰申せ」とのこと。
聖武天皇は、勅命をもってこの仏像を探すことを命ぜられました。
その当時、生き仏として庶民より最も信頼されていた行基菩薩にこの大切な仏像を探すことを依頼されました。
行基菩薩は、この仏様を求めて、この奈良の地を発たれ、西南方の地を歩かれ、そうして到達したのがこの水間の地でありました。
当時この地は今は想像も出来ないような山間部で、霊峰葛城の峯よりこんこんと流れる水の間に巨岩があり、原始林に囲まれた神域でありました。
このとき突然「十六人の童子」が出現し、誘うともなく行基菩薩を谷間に導きました。
そこにはこの谷間の美しい水の流れる巨岩の上に白髪の老人がおり、手に一体の仏様を捧げ、
「汝を待つこと久し」と言って、自分の手首を自ら噛み切って、その尊像を行基菩薩に手渡し、そうして自分は龍となって昇天したと由来記に記されています。

本堂とか入れないので、拝観料を払ってというところでないですから、なかなかわざわざ行くことはないんだろうけど、
寺としてはかなり立派でございます。

Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です