続いて、瑞巌山 圓光寺、ずいがんざん えんこうじ、と読む、
見どころの一つ、奔龍庭、Honryutei
>白砂を雲海に見立て、天空を自在に奔る龍を石組であらわした平成の枯山水。龍の頭部と背中付近にそびえ立つ石柱はかつて井戸の部材として使われていたもの。
>端に開けられたいくつもの穴にその名残を見つけることができる。荒く切り立った石柱は龍の周囲に光る稲妻をも表現し、庭園全体に躍動感を与えている。
>通常、庭園の境界を示すために配されるはずの留め石は置かれずにこの庭園はあえて未完のままとされている。庭園を見る者がその余白を埋め、それぞれの心のなかで完成させることを期待した作庭意図だろうか。
建物の屏風などを眺め、
庭を通り、
本堂から眺める、>十牛之庭、Jyu-gyu no niwa
>牛を追う牧童の様子が描かれた「十牛図」を題材にして近世初期に造られた池泉回遊式庭園。周囲の山々を取り込んだおおらかなつくりは尼寺として長い歴史を持つ圓光寺の家風そのもの。
庭園南側には洛北最古の泉水、栖龍池があり、先人たちはここからの眺めを絶景として褒め称えたという。十牛図に描かれた牛とは、人間が生まれながらに持っている仏心をあらわしている。
>牧童が禅の悟りにいたるまでの道程であり、懸命に探し求めていた悟りは自らのなかにあったという物語だ。
修行道場としてこれまで多くの雲水たちが参禅の日々を過ごした圓光寺。厳しい修行のなか、雲水たちは僧堂の前に広がるこの庭園をどのような心持ちで眺めていたのだろうか。
>洛北からの景色The view from the Rakuhoku
>境内山上に登ると、開基、徳川家康公を祀った東照宮がある。さらにその先には、洛北を一望することができる広く大きな眺め。遠く北山や嵐山の山々をも眺望するこの場所は知られざる圓光寺の名所だ。
夕刻には西の空に落ちる太陽が京都の街を真っ赤に染めて、足元に見る境内や竹林は昼間とはまったく違う表情を見せる。
鐘楼、
この紅葉前に趣を感じたと想像するが、室外機あるし・・・
さっきみた屏風、鮮やかやね、
>慶長6年(1601)徳川家康は国内教学の発展を図るため、下野足利学校第九代学頭・三要元佶(閑室)禅師を招き、伏見に圓光寺を建立し学校とした。
圓光寺学校が開かれると、僧俗を問わず入学を許した。また孔子家語・貞観政要など多くの書籍を刊行し、これらの書物は伏見版または圓光寺版と称された。
当寺には、出版に使用された木活字が現存しており、我国出版文化史上特筆すべき寺院であるといえよう。
引用終わり、
拝観料500円なんだが、それ以上の見応えでお勧め。
やっぱり思い出せないんだがさ。