1983、八大神社、一乗寺下り松、吉岡一門との決闘之地

By | 2019年10月12日
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詩仙堂のすぐそば、八大神社、

>1294年(永仁2年)に一乗寺の産土神として祇園神社から勧請された。
江戸時代初頭、一乗寺下り松で吉岡一門数十人と決闘を行った宮本武蔵が、決闘を前に当社で神頼みをすることを思い立ったが、神仏に頼ろうとした自分の弱さに気づき寸前にやめたという逸話も残る。
社殿内には一乗寺下り松の古木が保管展示されている。

引用終わり、これがその古木。

神社なので、鳥居などあり、一乗寺下り松に思いを、

>一乗寺下り松(いちじょうじ さがりまつ)とは、京都市左京区一乗寺花ノ木町にある松の木、またはその場所を示す名称。曼殊院道と狸谷不動明王道が分岐する場所にある。
平安時代の昔から、近江から京に通じる交通の要衝にあり、旅人の目印として植え継がれてきた松で、現在の松は4代目である。平安時代中期から南北朝時代頃までこの地にあった一乗寺にちなんで名付けられている。
江戸時代初期、宮本武蔵が吉岡一門数十人と決闘を行った伝説(異説では北野七本松とも)でも有名で、1964年の映画「宮本武蔵 一乗寺の決斗」の舞台でもある。宮本武蔵が決闘に向かう途中立ち寄った八大神社は250m程東にある。
現地には松及び『宮本 吉岡 決闘之地』碑があり、隣接して『大楠公戦陣蹟』碑(足利尊氏と戦った楠木正成の陣所跡)が建てられている。

引用終わり、

写真がうまく取り込めないが、境内はそこそこ広いものの、
拝観料などないので、がらんとしております。

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